20歳で里子“卒業” 今度は自分が恩返しを 社会福祉士の夢追う理由

大切な家族に囲まれ、20歳の誕生日を迎えた(写真はイメージ)

 4歳の時から長崎県佐世保市の里親家庭で育った太一さんは今月5日、20歳の誕生日を迎えた。制度上、この日で里子としての措置は解除となる。彼とは2019年、本紙に掲載した連載「家族のかたち 里親家庭の今」の取材で出会った。里子を“卒業”した今、どんな思いを抱き、どんな将来図を描いているのか。約1年半ぶりに彼の元を訪ねた。
 誕生日の次の日。仕事が休みのきょうだいとその家族も自宅に集まり、彼の好きな海鮮巻きや生春巻き、チョコレートケーキを並べ、大人の仲間入りを祝った。「20歳の抱負」を求められても特には語らず、大切な家族に囲まれ、ただうれしそうにほほ笑んでいた。
 20歳になり、衣食住に関する児童福祉法上の支援は切れた。「いろんな場面で責任が出てくると思う」と独り立ちに向けた自覚を口にする太一さん。早速、児童相談所の職員らに相談しながら国民年金の保険料納付の検討も始めている。
 現在は社会福祉士になる夢を追い掛け、同市内の大学で勉強中。里親の糸永真利子さん(60)は「ここまで立派に成長してくれた」と喜び、その感情は実子3人が成人した時と少しも変わらないと話す。卒業までは今まで通り同じ屋根の下で暮らし、息子の背中をそっと押していくつもりだ。

◆里子の新たな道を開く

 2月上旬、彼の元を訪ねると、大学はすでに春休みに入っていた。新型コロナウイルスの感染拡大でこの1年は大半がリモート授業になった、と教えてくれた。耳元にシルバーのピアスが光る。「どこにも行けず暇だったんでちょっと開けてみました」と笑った。
 佐世保市の太一さんは、一定期間を家庭で育てる「養育里親」の糸永富美男さん(58)、真利子さん(60)夫婦に4歳の時から育てられた。養育里親の受け入れ期間は原則18歳までだが、大学進学に伴い、2年間の措置延長をしていた。そして、20歳の誕生日を機に措置は解除された。
 厚生労働省の調査によると、全国の里子の大学進学率は約27%(2019年5月1日現在)と低水準で、県内では「あまり大学進学の例はない」(県こども家庭課)。太一さんの場合、周囲の協力が得やすい恵まれた環境にあったが、全国的には、大学進学した里子の中には措置解除後の1人暮らしで孤独を感じたり経済的に困窮したりして、退学する例も少なくないという。
 太一さんは大学に進学する際、里子や児童養護施設入所者らを対象にした奨学金制度を利用。進学した大学では適用第1号だった。措置解除後も卒業まで公的な支援を受けられるメニューを探し、現在は県が実施する「社会的養護自立支援事業」を活用する手続きを進めている。
 太一さんは「前例がほぼない状況。いろんな制度を活用しながら、自分が前に進むことで後に続く里子たちに新たな道を切り開くことになれば」。県内におけるモデルケースとしての役割も自覚している。

社会福祉士を目指して勉強を続ける太一さん=佐世保市内

◆「一生、うちの息子」 

 太一さんの実母は病気のため育児ができなくなり、その後亡くなった。太一さんは20年を振り返り、育ててくれた糸永家に、命を懸けて生んでくれた実母に、そして生活を支えてくれた福祉制度に感謝した。恩返しとして今度は自分が支援する側に立ちたい-。それが社会福祉士を目指す理由だ。自分と同じ境遇の子どもたちの心に寄り添えたら、と将来を語る。
 一昨年の夏には県里親会の活動に参加して里子たちと触れ合った。「(里子だった)自分が関わることでこんな(幸せな)生き方もできると説得力を持って伝えられるんじゃないか」。そんな実感を得た。
 里親の真利子さんが各地で里親の普及活動に汗を流す姿も近くで見てきた。自身も勉強し、活動を手伝えるようになれば、それは「親孝行」の一つになるとも考える。
 大学進学と同時に、それまでの「糸永」姓ではなく、実親の「宮川」姓を名乗って生活を送っている。ただ、名字が変わっても、家族の絆は変わらない。措置解除となり、糸永夫婦は「大家と下宿人の関係になりました」と冗談めかした。
 この春からは現場実習を控え、新型コロナの感染状況に日々やきもきする。卒業後は「外の世界を見てみたい」と県外就職も視野に入れている太一さん。真利子さんは「彼が選ぶ道。どこで何の仕事をしてもずっと応援するだけです」と話し、こう力を込めた。
 「どこに行っても太一の帰る場所はここ。一生、うちの息子ですから」

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