【おんなの目】 感傷

 片付けねばならない。物が多すぎる。弁解したい。私は、物に興味がない。だから増やした記憶がない。多くなった物たちの大部分は、亡くなった両親が残した物だ。例えば鍋。私は鍋類は使わない。フライパン一つあれば私の料理はできる。食器もしかり。カップが一つあれば珈琲でも日本茶でも飲める。そういう私なのに、ピカピカに磨かれた鍋が十五個、食器類は数えきれないほど残された。整理できない。

 両親が残した物に写真がある。これが曲者。彼等が仲人をした人達の写真が数十組ある。私の知らない人ばかり。たとえ知っている人がいたとしても、昔の花嫁は厚化粧を施されているので見ても誰かわからない。捨てよう。親族の写真は処分できない…。その原因は“感傷”だと本で読んだ。ならばやっかいな“感傷”を処理する方法も本にあるはずだ。

 嵐山光三郎著「死ぬための教養」を読んだ。感傷を排除し平静に死を迎えるヒントがあるかもしれない。教養をつけるために彼が読んだ本が紹介してある。これを追おう。最初の本は「ミニヤコンカ奇跡の生還」(松田宏也著)。これがすごい。魔の山ミニヤコンカに挑み九死に一生を得て生きて帰るノンフィクション。執念深くまず生きるのである。

 整理なんていい。感傷と共に生きるのだ。

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