武田修宏氏が語る富士ゼロックススーパー杯の思い出「あのゴールがあったから…」

武田修宏氏

Jリーグの開幕を告げる「富士ゼロックススーパー杯」は20日、東京・国立競技場でキックオフとなる。28回目となる今年は昨季J1リーグ戦、天皇杯の2冠を獲得した川崎とJ1リーグ戦で2位のG大阪の顔合わせ。今季を占う重要な一戦を前に、本紙評論家で元日本代表FW武田修宏氏(53)が同大会の思い出を語った。

1994年に第1回を迎えた大会(当時の名称はゼロックススーパー杯)では、前年リーグ王者のヴェルディ川崎(V川崎=現東京V)と天皇杯優勝の横浜フリューゲルスが激突。武田氏はV川崎のストライカーとして先発のピッチに立った。

「前年にJリーグがスタートし、すごい盛り上がりだった。その熱はずっと続いていて、この大会の注目度も大きかったのを今でも覚えている」

試合はスコアレスで迎えた前半終了間際、FW三浦知良のFKをMFビスマルクがつなぎ、最後は武田氏が蹴り込んで先制。この大会の記念すべき第1号ゴールとなった。

後半18分に同点とされたが、32分にビスマルクのゴールで突き放し、V川崎が2―1で初代王者に輝いた。

「ゼロックススーパー杯はJリーグ開幕の1週間前に行われるとあって、この大会での先発、イコール開幕戦の先発という認識。だから必死だった。そういう意味で先制ゴールを決められたのは大きかった。自分にもチームにも自信になる1点だった」

実は、このゴールには“続き”があるという。

「対戦相手の横浜Fには、バルセロナ(スペイン)などでも大活躍したパラグアイ人のFWアマリージャがいたんだけど、このゴールのことをよく覚えていてくれて、彼が引退後に地元のスポルティボ・ルケーニョで監督を務めていた時に私を誘ってくれたんだ」

武田氏がルケーニョに移籍したのが2000年。記念すべき大会第1号ゴールは、6年後の海外移籍につながった。「あのゴールが自分の運命を変えた。そういう意味でも思い出深い1点だった」と振り返る。

大会を特別協賛する「富士ゼロックス株式会社」は4月1日から「富士フイルムビジネスイノベーション」に社名変更するため、現行名称での開催は今回がラスト。同社の玉井光一代表取締役社長は来年以降の大会協賛を続ける意向を示しているが、日本のサッカーファンに親しまれた「ゼロックス」の名前は消滅する。

武田氏は「大会を支えてきてくれた富士ゼロックスには感謝しかない。今年も自分のように、運命を変えるようなゴールを奪う選手が出てきてほしい」。今年はどんな戦いが繰り広げられるのか注目だ。

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