東アジア反日武装戦線を追ったドキュメンタリー『狼をさがして』予告編解禁!

東アジア反日武装戦線を追ったドキュメンタリー映画『狼をさがして』(原題:東アジア反日武装戦線)が3月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開する運びとなった。本作は昨年韓国で上映され、韓国映画評論家協会の独立映画支援賞や釜山映画評論家協会の審査委員特別賞を受賞するなど、韓国国内で高く評価された作品。この度、本作の予告編が解禁。

また、既に解禁済の森達也監督のほかに、瀬々敬久監督を始めとする、本作に注目する8名の方からのコメントが到着し、解禁された。

1974年8月30日、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで時限爆弾が爆発した。8名の死者と約380名の負傷者が出たこの事件は日本社会を震撼させた。事件から1ヶ月後、犯人から声明文が出される。「東アジア反日武装戦線“狼”」と名乗るその組織は、この爆破を「日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である」と宣言。その後、別働隊「大地の牙」と「さそり」が現れ、翌年5月までの間に旧財閥系企業や大手ゼネコンを標的とした“連続企業爆破事件”が続いた。

1975年5月19日、世間を騒がせた“東アジア反日武装戦線”一斉逮捕のニュースが大々的に報じられた。人々を何よりも驚かせたのは、彼らの素顔が、会社員としてごく普通に市民生活を送る20代半ばの若者たちだったという事実であった。しかし、凄惨な爆破事件ばかりが人々の記憶に残る一方で、実際に彼らが何を考え、何を変えようとしたのかは知られていない。

時は過ぎ、2000年代初頭、釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督が、一人の労働者から東アジア反日武装戦線の存在を知り、彼らの思想を辿るドキュメントを撮り始めた。出所したメンバーやその家族、彼らの支援者の証言を追うなかで、彼らの思想の根源が紐解かれていく。高度経済成長の只中、日本に影を落とす帝国主義の闇。彼らが抗していたものとは何だったのか?彼らの言う「反日」とは?未解決の戦後史がそこに立ち現れる。

コメント(敬称略、五十音順)

栗原康(アナキズム研究)

侵略者であるテメエにおとしまえをつけろ。

罪悪感のない、正しい自分がほしいのか。

「狼」の爆風はそんなわたし自身をふっとばす。

やられたら、やりかえせ。やられなくても、やりかえせ。

根拠なき生を共にいきよ。

坂手洋二(演出家・劇作家)

未公開となっている『カウンターズ』に続き、韓国の映画人が、日本に棲息し続ける歪んだ国家主義に抗う者たちを取り上げてくれている。〈東アジア反日武装戦線〉の活動には、誤謬もあったかもしれないが、その試行錯誤から学ばなければならない。彼らと共有すべきものがあると考え、かつて私は戯曲『火の起源』を書いた。あの地点から始まった〈人の繋がり〉の連鎖は、まだ続いている。時代を超えて、さらなる覚醒が必要なのだ。

鈴木英生(新聞記者、『新左翼とロスジェネ』著者)

誰よりも負の日本近現代史と自らを直結させ、「おとしまえ」をつけようとしたかれらは、誰よりも自他を傷つけてしまった。ナショナリズムとの向き合い方を問い、希望の種を探すため、参照すべき映画だ。

瀬々敬久(映画監督)

中島みゆきの『狼になりたい』は東アジア反日武装戦線のことを歌っている。ずっとそう思っていた。彼らはこの世界を考えるとき常に“重要な人たち”だった。日本にいる自分たちが作らなければいけなかった。それが、韓国から発せられた。敬意を込め見るしかない。

田原牧(東京新聞論説委員兼編集委員)

「体を張って自らの反革命におとしまえをつける」。その峻烈な決意は帝国の闇を照らし、四十余年を経て海峡を越えた。彼らの意思はいまも歴史を動かしているのだ。

友常勉(東京外国語大学教員)

橋の向こう側は霞んで、何も見えない。爆破されずに残った橋、その向こうから啓示がやってくる。まるでジャ・ジャンクーの世界。〈東アジア反日武装戦線〉がこのように描かれたのは、初めてである。

森元斎(長崎大学教員)

私たちは、暴力の後、そして革命後の世界を生き、今もなお、狼の夢を追い続けている。

四方田犬彦(映画誌・比較文学研究)

70年代には日独伊、旧枢軸国で爆弾闘争が続いた。「狼」はポストファシズムの世代の贖罪意識の現われである。この作品を監督したのが、日本の旧植民地の若い世代であることを、ある感慨のもとに受けとめた。

森達也(映画監督・作家・明治大学特任教授)

彼らは何を求めたのか。そして何を間違えたのか。時代は終わっていない。そこにかつて統治された国からの視点が重なる。事件から半世紀が過ぎかけているからこそ、僕たちは解釈の多様さを取り戻さなくてはならない。

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