1本の木に会いに行く(23)高麗神社・しだれ桜と古代史ロマン<埼玉県>

まもなく桜の季節。埼玉県日高市に古代の歴史に思いを馳せる一本桜があるといいます。飛鳥時代の日本にやって来た朝鮮半島“高句麗”の王族。その末裔がいまも神社を守っているというのです。春の柔らかい日差しの中、歴史ロマンに触れてみました。

高麗神社 埼玉県日高市の丘陵地帯へ

高麗神社へのアクセスは、それほどいいとは言えません。場所は埼玉県中西部の丘陵地帯。JR八高線高麗川駅から徒歩で20~30分といいます。車で訪ねたのは去年の3月下旬。圏央道の日高・狭山ICから20分ほどかかったでしょうか。道中は丘陵地帯で畑が広がり、住宅や倉庫・工場が点在していました。

広い駐車場と、そこから美しい桜並木の参道が境内へと続いていました。

高麗神社は「こまじんじゃ」と読みます。ここは古代の朝鮮半島にあった国「高句麗(こうくり)」から日本にやってきた渡来人に由来する神社なのです。

綺麗に整備された参道が続きます。本殿へと向かう途中、ここに参拝に訪れた皇室の方々や政治家、著名人の名前がズラリと並んでいました。

4年前には、退位する直前の上皇ご夫妻も訪れています。濱口雄幸、若槻禮次郎、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎など参拝後に総理大臣になった政治家も数多く、出世や開運のパワースポットといわれています。

本殿の前の広場にもヒガンザクラが美しい花を咲かせています。樹齢は300年といいますから、この桜もたいへん歴史のある桜ですね。この桜の枝にはたくさんのおみくじが結んでありました。

本殿でお参りした後、社務所の脇の道をさらに奥に進むと・・・

風にそよぐしだれ桜と高麗家の屋敷

広場に大きなしだれ桜とかやぶきの民家が見えてきました。春の暖かい日差しの中で風に枝がゆっくりと揺れる姿は優美です。

高さ16m、幹回りは3.2m。そして樹齢は400年といいます。このしだれ桜は彼岸桜の一種で、別名イトザクラと呼ばれています。かたわらにある古民家とともに、美しい日本の原風景を思わせます。

例年3月下旬にしだれ桜は満開を迎えるといいます。訪れた去年はほぼ例年通りでしたが、今年の桜は少し早いかもしれませんね。

樹齢400年ともいわれるしだれ桜。400年前といえばちょうど江戸幕府が誕生したころですね。

そして、しだれ桜のかたわらに建っているのは、高麗家住宅と呼ばれる古民家で、実は高麗神社の神職を代々務めてきた高麗氏の住宅を復元したものです。国の重要文化財に指定されています。

この家は江戸慶長年間(1596~1615年)に建てられたと伝えられているそうです。樹齢400年といえば、そもそもこの住宅を最初に建てた頃に家の脇に、このしだれ桜を植えたのでしょうね。

神社でお話を伺ったところ、高麗家はいまに至るまで脈々と続いているそうです。現在はなんと60代目ということでした。祖先は1300年前に高句麗からやって来た渡来人だといいます。

1300年前の渡来人 若光王の謎

境内にある石碑には、霊亀2年(716年)、大和朝廷が駿河(静岡)、甲斐(山梨)、相模(神奈川)、上総・下総(千葉)、常陸(茨城)、下野(栃木)の七つの国から高句麗人1799人を武蔵国に移し「高麗郡」を創設したという「続日本書紀」の文言が記されています。

この時、郡の長官に任命されたのが若光(じゃっこう)という人物。若光はこの地域に集められた高麗人を指導し、未開地を拓きました。

では、若光とは何者だったのでしょう。

1300年前の朝鮮半島は「三国時代」と呼ばれる戦乱のさなかにありました。日本列島の年号で言えば飛鳥時代の天智天皇5年(666年)、唐と新羅は連合して高句麗に攻め入り、高句麗は国の存亡のさなか外交使節団を大和朝廷へ派遣しました。

「日本書紀」にはその使節団の副官として「二位玄武若光」の名があり、日本へ渡来したといいます。そして、その後に新天地の高麗郡で若光が長官になったとされます。

想像をたくましくすれば、高句麗からの外交使節団とは、大和朝廷に救いを求めるためのものだったのもしれません。またあるいは、亡命者たちとも考えられるのです。

朝鮮半島で約700年間栄華を誇った高句麗は、この2年後に滅亡し、若光は故国に帰ることができなかったようです。

そして、大和朝廷に官人として仕える若光の名が「続日本書紀」大宝3年(703年)「従五位下の高麗の若光に王の姓を賜う」として残されています。

若光王の眠るお寺 聖天院へ

そうして若光はこの地で亡くなりました。高麗神社から徒歩5分ほどの聖天院というお寺に彼は眠っているのだそうです。高麗神社から聖天院へは小径が続いていました。行ってみましょう。

丘陵の斜面に広がる大きなお寺です。山門脇に「高麗王廟」と大きく書かれた祠が建てられていました。ここが若光のお墓なのですね。ずいぶんと昔の人ですが、お参りしていると、ついこのあいだのことに思えて物悲しい気持ちになりました。

聖天院の創建は鎌倉時代の751年といいます。若光が亡くなってしばらくして、子どもか孫の世代がこのお寺を建てたのかもしれません。

若光の墓は五個の砂岩を重ねた多重塔で、下部に四仏が刻まれていたそうですが、永い年月の風化によっていまでは見ることができません。

境内には在日韓民族慰霊塔もあり、韓国の方の参拝も多い様子で、案内板には日本語と韓国語の両方で由来が書かれていました。

歴史ロマンに思いを馳せながら

朝鮮半島や中国大陸で戦乱を逃れて日本にやって来たという話は古くからあります。実際、日本列島に住んだ人々は大陸や半島からやって来たのです。特に朝鮮半島は太古の昔から日本列島と関係の深いものだったに違いありません。

そうして日本列島にやって来た渡来人たちは、ふたたび故国に帰ることなく大和朝廷や、後の朝廷の重要ポストに就くことが多かったようです。実は彼らは古くから日本の国造りに大きく貢献していたのです。

あらためて、しだれ桜の花びらを見てみると、なんと可憐なことでしょう。凛としていますね。1300年前、異国で亡くなった祖先を偲び、志を受け継いできた渡来人たちの思いが込められているような気がしました。

高麗神社

住所:埼玉県日高市新堀833

電話:042-989-1403

アクセス: JR八高線高麗川駅から徒歩20分、車で圏央道狭山日高ICから15分

HP:http://komajinja.or.jp/

高麗山 聖天院 勝楽寺

住所:埼玉県日高市新堀990-1

電話:042-989-3425

HP:https://shoudenin.jp/

[All Photos by Masato Abe]

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