大滝詠一「A LONG VACATION」チャートアクションの背景には何があったのか!? 1981年 3月21日 大滝詠一のアルバム「A LONG VACATION」がリリースされた日

色褪せぬ輝きを放つ、大滝詠一「A LONG VACATION」

2021年3月21日、大滝詠一の『A LONG VACATION VOX』(完全限定超豪華BOXセット)と『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』がリリースされる。名作アルバムの○○周年記念リイシュー自体は珍しくはないが、40年前のアルバムが、今でもまったく色褪せない輝きを保っているのはさすがと言うしかないだろう。

アメリカンポップスの深い造詣に基づいて、あくまでもコンテンポラリーな日本のポップミュージックとして構築された『A LONG VACATION』は、“新しさ” ばかりに目を向けがちな日本のリスナーに、スタンダードとはなにか… を問いかけた作品でもあった。

その作品の素晴らしさは、さまざまな方が言及されているので、ここではこの作品の周辺エピソードを少し思い出してみたい。

なお、大滝詠一はアーティスト活動の場合の表記で、プロデュースなどのスタッフワークに際しては大瀧詠一と表記しているが、混乱を避けるために、ここでは大滝詠一で統一させていただいた。

ふたつの「A LONG VACATION」

そもそも『A LONG VACATION』というタイトルは、もともとこのアルバムのために用意された言葉ではなかった。1979年7月に、当時のCBSソニー出版が『artback』の名で発行していたイラスト絵本シリーズの一冊として、『A LONG VACATION』が発行されているのだ。

これは永井博のイラストと大滝詠一による英語の短文で構成された作品で、マニアックさもありながら、ポップでさわやかさなアメリカンリゾート感覚を伝えるイメージブックとして、シリーズの中でも好評の一冊だった。

アルバム『A LONG VACATION』は、タイトルだけでなく、ジャケットのビジュアルも『artback』の表紙デザインを踏襲している。憶測だけれど、大滝詠一は最初から本とアルバムの連動を考えていたわけではなかったのではないかと思う。大滝詠一がこのアルバムのレコーディングに入ったのは1980年4月のこと。とすれば、アルバムのレコーディングを進める中で、『artback』で描いた世界観がニューアルバムのコンセプトと通じていることを確信したと考える方が自然かなと思う。

ともあれ、アルバムタイトルだけでなく、ジャケットのビジュアルも『artback』の『A LONG VACATION』と同じになっているのは、この2作が大滝詠一による音楽とビジュアルによるクロスメディアと位置付けられているという意志表示でもあったのではないかという気もしている。

ナイアガラ・レーベルを設立、趣味性が強くヒットに縁遠いアーティスト?

今や、『A LONG VACATION』は、日本のポップス市場屈指の名盤と多くの人に認められている。しかし、アルバム発売にあたってこれをどう売ればいいのかかは大きな課題だった。

70年代は新しく台頭してきた若者の音楽が脚光を浴びていく時代だった。しかし、その中心になっていたのは “言葉” に重きを置くフォーク系の作品やアーティストで、サウンド志向の強いロック、ポップス系アーティストは注目されにくい傾向があった。

中でも、はっぴいえんど解散後、ナイアガラ・レーベルを設立してプロデューサー・アーティストとして個性的作品を発表していた大滝詠一は、あまりに趣味性が強くヒットとは縁遠いアーティストと見られていた。

『A LONG VACATION』の仕上がりには絶対の自信を持っていても、ベテランに近い上に売れないアーティストと見られていた大滝詠一にとってはなかなか敷居の高い情況でもあった。

RCサクセション「シングル・マン」に見出した情況打開のヒント

けれど、そんな情況を打開するヒントが無いわけではなかった。RCサクセションのアルバム『シングル・マン』の再発売運動もそのひとつだったのではないかと思う。

デビュー当初のRCサクセションはフォークスタイルで活動していたが、1976年に、本格的にロック、R&B色を強めたサードアルバム『シングル・マン』を発表した。このアルバムはまったく売り上げが伸びずに早い段階で廃盤となっていたが、たまたまこのアルバムを聴いて感動した評論家の吉見佑子が中心となって1979年に “シングル・マン再発売実行委員会” が結成された。そして、メーカーとのアルバム再発交渉の結果、1980年に東京・青山の輸入レコードショップ「パイド・バイパー・ハウス」などごく限られた店舗で、自主製作盤という形での再発売が実現。この再発盤はわずかな口コミだけで1,500枚を売りあげ、ついにメーカーから正式に再発されることとなったといういきさつがあった。

『シングル・マン』再発売委員会の成功は、マスメディアにほとんど無視された作品でも、良いと思う人が本気で動けば事態を変えられる可能性があることを示した。しかも、80年前後には日本でも、洗練されたポップテイストを持ったアーティストが注目されるようになるとともに、欧米の音楽シーンへの関心も高くなっていた。当時、日本のレコード会社から発売される洋楽レコードだけではシーンを追いかけるには不十分で、国内盤が発売されていないアルバム、さらには同じものでも音質が良い外国盤を求める声に応えて大都市には輸入レコードを扱うショップが少しずつ増え、そうした輸入盤ショップに集まる感度の高い若者たちによる、今で言うインフルエンサー効果が生まれやすい情況も生まれていった。この時期、輸入レコードショップは、最新の音楽情報発信スポットになっていたのだ。

輸入盤に負けない「A LONG VACATION」の“音質の良さ”

当時、『A LONG VACATION』のプロモーションに携わるスタッフがどこまで『シングル・マン』再発売運動の成功を意識していたのかは知らない。けれど、洋楽色の強い作品にとって、輸入レコードショップへの働きかけが大きな戦力となることは確実に意識していた。同じ時期に、山下達郎の『RIDE ON TIME』、YMOの『SOLID STATE SURVIVOR』などの、洋楽ファンにもアピール力をもった作品が登場し、輸入レコードショップもこうしたレコードを扱い、かなり大きな売り上げを得ていたことも彼らはキャッチしていた。

『A LONG VACATION』も、クオリティ的には洋楽マニアをうならせ得る作品だった。音楽の内容はもちろん、当時の日本盤の弱点だったカッティングレベルの低さも解消されていた。カッティングとは、アナログ盤マスターに音溝を刻む、いわばレコーディングの最終工程。音溝を深く刻めば大きく力強い音になるが、日本のカッティングエンジニアは溝が深くなることで針飛びが起こるのを恐れて冒険をしない傾向があった。そのため、同じレコードでも洋盤と較べると日本盤は音が貧弱に聴こえるという不満が、洋楽ファンにはあった。

しかし、『A LONG VACATION』では、大滝詠一自身がカッティングの行程にまでこだわり、、輸入盤に負けない “音質の良さ” を実現していた。

輸入レコードショップへ積極的にアプローチ

輸入盤に引けを取らないクオリティを武器に、スタッフは積極的に輸入レコードショップに『A LONG VACATION』をプロモーションしていった。ショップ側にも、大滝詠一の音楽性を理解して積極的に応援しようとする動きが生まれていった。そして、いくつかのショップとの提携で、特別の販売体制が取られていく。

例えば、国内盤のレコードと輸入盤の大きな違いは、国内盤が帯がついたジャケットをビニール袋に入れてディスプレイされていたのに対して、輸入盤はフィルムをジャケットに真空パックのように密着させたシュリンク包装で店頭に置かれていることだった。そこで、輸入レコード店で扱われる分は特別にシュリンク包装にして、海外盤のレコードと違和感なくディスプレイできるようにしたのだ。

こうして、『A LONG VACATION』を輸入レコードショップの純粋な推薦レコードとして洋楽ファンにアピールすることができた。ショップ側も大量にレコードを仕入れて派手にディスプレイするなどして、スタッフ側の熱意に応えた。

時間と共に売上が向上、その戦略とは?

もちろん正攻法のプロモーションも積極的に行われていた。しかし、『A LONG VACATION』の発売後の動きを見ると、リリース当初のセールスはそれほど芳しいものではなかったのが時間と共に売り上げを伸ばし、8月に入ってチャート2位まで上昇するという動きを示している。

このチャートアクションの背景には、発売当初はマス層をターゲットとした一般レコード店での動きが鈍いことを見越して、当初は輸入レコードショップでのプッシュやライブハウスなどで行うDJイベントなど、ディープな音楽ファンや洋楽ファンに向けたアクションを積極的に展開し、そこで起きた反響を一般店に反映させていくという戦略があった。

実際、輸入レコードショップでのセールスは好調で、作品への評価も高く、実際に『A LONG VACATION』を聴いたオピニオン的音楽ファンからの「このアルバムはすごい」という口コミが生まれ、次第にその良さが広がって行くという現象が起きていった。

さらにチャートランクが上昇していった時にも、あえて1位にはならないにように流通の調整を図ったという話も聞いたことがある。1位を取ってしまえば、その時はもてはやされるが、あとは下り坂と見られてしまう。だから、常に上位にある状態にとどめて、次の作品に繋げようという考えがあったのだという。

言うまでもないけれど、この仕掛けだけが『A LONG VACATION』ヒットの要因ではない。むしろ、プロモーションの仕掛けとしては非常に小さな動きに過ぎなかった。しかし、80年代初頭という、欧米のアナログレコーディングの技術が成熟に向かい、日本でも輸入盤によってようやくレコーディングのクオリティを意識し始めた時代だからこそ有効に機能したプロモーションだったことは間違いないと思うのだ。

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カタリベ: 前田祥丈

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