【昭和ロックを語る時が来た!】ヴァン・モリソンが在籍したゼムのコンサートで後にバンドを組むデイヴ平尾と遭遇

次々に飛び出すエピソードの数々…対談は大いに盛り上がった

【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:エディ藩編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(58)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。ゲストは伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)。1966年の米国で本場の音楽を知る旅を続けたエディは、現在より激しかった人種差別を何度も目の当たりにしたという。

――前回は米サンフランシスコでゼムのコンサートに行き、会場で後にゴールデン・カップスを組むデイヴ平尾さんと会ったという話でした

ユカイ たまたまだったんですか?

エディ 平尾がアメリカに行ってることは知ってたけど、会場で会ったのはたまたま。「来てたんだ」みたいな感じで。

ユカイ ゼムのコンサートでってのが、いかしてますね!!

エディ 平尾はゼムにかぶれちゃってたから。

――ゼムはヴァン・モリソン(75)が在籍した北アイルランド出身のバンドで、活動期間は1964~72年。後にゴールデン・カップスや数々のバンドがカバーした「グロリア」や「ヒア・カムズ・ザ・ナイト」などのヒット曲で知られてます

ユカイ よく平尾さんに気が付きましたね。

エディ 変な東洋人がいるな~ってね。東洋人は少ないから目立ってた。

ユカイ 日本人があまり海外に行ってない時代ですね。

エディ 日本で海外旅行が自由化された(64年)少し後ぐらい。まだお金の持ち出し制限があって、500ドルしか持っていけないから、現地で闇ドルを買うわけ。闇ドル高いんだよ。

ユカイ その場で平尾さんと「日本に帰ったらバンドやろう」という話になったんですか?

エディ バンドをという話にはならなかった。すげーな、すげーなって話ばかりで。平尾は「2~3日したらグレイハウンド(長距離バス)に乗ってシカゴに行こうと思ってる」なんて言ってたな。

ユカイ エディさんは。

エディ 俺は最初がサンフランシスコ。次にロスに1週間ぐらいいて、その時にヤードバーズとか見たわけ。次に飛行機でテネシー州のメンフィスに行った。ロックンロール発祥の地だから、どうしても見ておきたくて。グレイスランドとかさ。

ユカイ エルビス・プレスリーの自宅がある場所。しかも、まだエルビスが生きている時じゃないですか。

エディ その後、南下してニューオーリンズに行った。さらにディープなほうに行こうとしたんだけど、白人の友達に「これ以上行かないほうがいいよ」と忠告されてさ。人種差別がすごいからって。怖くてやめたよ。

ユカイ 何年でしたっけ?

エディ 1966年。白人は「黒人の音楽は悪魔の音楽だから聴かないほうがいい」なんてまだ言ってたね。ホテルでさ、ブルース聴ける店に行きたいって言ったら「あんなスワンプミュージックが好きなのか」って。swampは沼とか湿地のことね。南部の湖が多い水辺の地域で生まれた音楽だから。

ユカイ キング牧師がまだ生きていて、差別と闘っていた時代ですね。

エディ そうだね。車でちょっと行ったあたりりに薄暗い一角があって、近づくと音が聞こえてくる。ドアを叩いたらのぞき窓が開いて、黒人のギョロッとした目が見えた。「何の用だ」「入れてくれ」「年はいくつだ、キッド」「19歳。もうすぐ20歳だ」「お前みたいなホンキーが何しに来た」って。ホンキーってのは白人をばかにした言い方で、白人だと思われたんだね。

ユカイ ローリング・ストーンズの大ヒット曲に「ホンキー・トンク・ウィメン」(69年)があるけど、ホンキーって、そういう意味があったんですか!

エディ ホンキートンクってのは、ピアノがある安い酒場のことで、そういうとこのピアノってろくに調律してないから音が外れてる。それを酔っぱらった白人が調子っぱずれに演奏してることからそう呼ばれるようになったそうだよ。

ユカイ で、入れたんですか?

エディ 入れた。知らないリフを弾いてたよ。

☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。

☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。

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