【昭和~平成 スター列伝】若き〝大巨人〟アンドレ モンスター・ロシモフが70年初来日

左からマイケル・ネイダー、カシモド、モンスター・ロシモフ、バッドボーイ・シールド。来日した外国人勢が上半身裸でポーズ

1970年1月2日、国際プロレス「新春チャレンジ・シリーズ」に参戦するバッドボーイ・シールド、カシモド、モンスター・ロシモフらが北米、ヨーロッパから続々と東京国際空港に到着した。とりわけ注目を集めたのは初来日のロシモフ、のちの“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントだ。

前年(69年)5月、フランス・パリでイワン・ストロゴフと組んで豊登、ストロング小林組と対戦し敗れており、開口一番「小林、豊登に雪辱したい。そのために日本に来た」。さらに「こっちからはやらないが、売られたケンカはみんな買ってきた。ケンカのコツは先手必勝だ」と不敵な笑みを浮かべながら野太い声で言い放った。

また、初来日ということで「生まれたときから大きかった。1歳の誕生日に体重が13キロ、身長が90センチもあったということだ」「レスラーになる前は力仕事をやっていた。オレの一家は祖父の代から大きく、みんな2メートルクラスなんだ」などと簡単なプロフィルを明かしている。

翌日(1月3日)、岡山県営体育館で開催されたシリーズ開幕戦で日本デビュー。カシモドとのタッグでセミファイナルに登場し、サンダー杉山、田中忠治組を相手に大暴れ。本紙は「馬場よりでかいということが売り物のモンスター・ロシモフは、暴れ始めると杉山も田中も全く手がつけられないという感じ。大男のわりにはカンがよく、動きもスローではない」と評した。

日本滞在中には、その後のレスラー人生を決定づける運命的な出会いもあった。同じく初来日の“AWAの帝王”バーン・ガニアに実力を認められ、北米進出のきっかけを得たのだ。

ガニアの手ほどきを受けつつ、主戦場をこれまでのフランスからプロレスの本場に移したことで、プロレスラーとしての才能が一気に開花。71年の再来日では“神様”カール・ゴッチや“人間風車”ビル・ロビンソンを抑え、「第3回IWAワールド・シリーズ」で初優勝を果たした。

73年にはWWWF(現WWE)と契約し、リングネームをアンドレ・ザ・ジャイアントに改名。74年からはWWWFと提携関係にあった新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木とマット史に残る激闘を展開した。(敬称略)

© 株式会社東京スポーツ新聞社