東北へ「エール届けたい」 元ロス・プリモス 徳永淳さん(長崎出身) 被災地ライブ90回以上 今年はDVDで

スタジオライブで被災者を応援する自作曲を歌う徳永さん(DVD「あの日から10年」より)

 音楽活動を通じ、ボランティアで東日本大震災の被災地支援に取り組む長崎市出身の音楽家がいる。歌謡グループ「ロス・プリモス」の元メンバー徳永淳さん(66)=神奈川県在住=。震災発生後からこれまでに計90回以上、東北3県の各被災地を巡り自作の応援歌などを演奏するライブ活動を続けてきた。しかし、今年は新型コロナ禍のため、被災地でのライブを断念。それでも、「震災10年の節目に、心のエールを届けたい」と、無観客でのスタジオライブを収録したDVDを被災地へ送った。
 徳永さんは長崎市立緑が丘中を卒業後、ヒット曲「思案橋ブルース」などで知られる長崎のバンド「中井昭・高橋勝とコロラティーノ」にスカウトされ、長崎日大高に通う傍らドラマーとして3年間活動。卒業後上京し、ジャニーズ事務所のアイドルグループに所属した。1977年、当時ムード歌謡界をけん引していた「ロス・プリモス」に加入、ドラムとコーラスを担当しグループ全盛期に活躍した。

■音楽で恩返し
 2010年に「ロス・プリモス」を脱退し、新生「コロラティーノ」を結成。ご当地ソングで地域活性化を図る活動の中で、岩手県釜石市の歌を作るなどして住民らと交流を深めていた。しかし、その翌年、震災による津波が同市を襲った。
 「お世話になった人たちに音楽で恩返しをしたい」。そう考えた徳永さんは、震災発生から1カ月後、神奈川から車で丸一日かけて同市を訪れた。「町の様子はすっかり変わり果て一面がれきの山。地獄のような光景だった」と振り返る。ショックを受けつつも、公園などに避難している人たちの前で、元気を出してもらおうと歌謡曲を歌った。

■震えて声出ず
 その後も音楽による支援活動を継続。車にスピーカーなど音響機器を積んで被災3県の仮設住宅を巡り、バンドメンバーらとライブを開いた。「最初の頃は、いざ歌うとなると悲しい気持ちになり、体が震えて思うように声が出なかった」と言う。それでも、「被災者から『あなたの歌で地震の恐ろしさを一瞬でも忘れられた』と、逆に励まされた」。
 活動を続けるうちに、被災地を応援する気持ちを表現した、オリジナル曲を手掛けるように。自然の復興を願う岩手の人々を描いた「岩手の花」、震災で町のシンボルが失われた福島県富岡町の住民の悲しみを歌う「ろうそく岩」など、これまでに歌謡曲約10曲を制作。被災地でのライブで演奏したり、動画配信サイト「ユーチューブ」で公開したりしてきた。

■心の復興まだ
 17年からは「徳永淳とベルリンガ」にグループ名を変え活動。10年前から毎年、震災が起きた3月11日には被災地数カ所を巡りライブを開いてきたが、今年は新型コロナ禍で中止に。その代わりにと、「岩手の花」「ろうそく岩」などオリジナルソング7曲の演奏動画や、支援活動の拠点としている東京・品川区の住民らによる応援メッセージを収めたDVD「あの日から10年」を制作。岩手県宮古市、同県大船渡市、福島県富岡町の役所などに計50枚を送った。
 徳永さんは「復興工事は進んでいるが、被災者の心の復興はまだまだ。歌で少しでも被災者を癒やせたらと思い活動してきた。新型コロナ禍が落ち着いたら、また被災地でライブを開きたい」と話す。
 DVD「あの日から10年」は非売品。問い合わせは徳永さん(電090.8814.8755)。

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