【伊藤鉦三連載コラム】落合博満の伝説「正面打ち」にプロはすごいと感動

入団会見に臨んだ落合(右)と星野監督

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(4)】私が中日球団と契約してトレーナーとなった1986年12月、星野監督は日本中をアッと驚かせます。3冠王を3度獲得したロッテ・落合博満を牛島、上川、桑田、平沼との1対4のトレードで獲得したのです。監督に就任していきなり仕掛けた星野流ビッグサプライズ。日本一の打者が中日にやってくるのですから名古屋の街はもう大騒ぎとなりました。

87年、中日の1次キャンプは宮崎県の串間で行われたのですが、中日・落合を見ようと報道陣もファンも押し寄せ、すごいことになっていました。とはいえ、そこはオレ流です。報道陣やファンの前ではなかなかバットを振りません。エアドームの中にこもり、非公開で練習をしているのですが、ある日、練習場に足を踏み入れた私は驚くべき光景を目にしました。落合はバッティングマシンで打撃練習を行っていたのですが、バッターボックスではなくホームベース上に立ってボールを打っていたのです。

ホームベース上でマウンド方向に正面を向いて構え、自分の体に向かってくるボールを三塁側ファウルゾーンに向かって打つ。球速数十キロ程度の遅いボールにセットして打っていますが、空振りすれば硬式のボールが自分の体に当たってしまいます。一つ間違えばケガをしかねない危険な練習です。しかし自分の体に向かってくるどのボールもしっかり捉える見事なバットコントロール。中日のトレーナーになりたてで、初めてプロの春季キャンプを経験していた私は驚きとともに「プロ野球選手は本当にすごいな」とある種の感動を覚えました。

これが伝説にもなっている落合博満の「正面打ち」です。もっともその後、30年以上、プロ野球の世界を見てきた私ですが、こんな練習を行っていたのは落合ただ一人。やはり並の打者ではありませんでした。

落合はキャンプの休日には昼過ぎまでずっと寝ていて、午後1時過ぎに起きてきます。食事をした後、午後3時くらいからわたしがマッサージをしていました。おなかは少しだけ出ていましたが、脇腹には脂肪がなく、引き締まっていて胸板はとても厚かった。本人も「(野球をするうえで)ここ(おなかの正面)は出てもいいけど、ここ(脇腹)は出てはいけないんだ。江夏さんだってそうだろ」と言ってましたね。

落合は87年から93年まで中日で7年間プレーして、本塁打王と打点王のタイトルをそれぞれ2度獲得しました。確実性は他のどの打者よりあったし、ドラゴンズの攻撃時には「何とかチャンスをつくって落合さんに回せ」とみんなが思っていました。それだけ頼りになる存在だったし、星野監督も信頼していたと思います。しかしそんな落合に対して星野監督が一度だけ、強烈に怒ったことがあったのです。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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