メクル第533号<旬感 V・ファーレン> 吉田孝行監督 “昇格”2文字に全て注ぐ

「監督として、試合でうまくはまった時の喜びは何ものにも代えられない」と話す吉田監督

 サッカーのJ2リーグは2月末に開幕(かいまく)。V・ファーレン長崎のJ1昇格(しょうかく)への戦いが始まりました。“旬(しゅん)”な選手を紹介(しょうかい)する「旬感V・ファーレン」もスタート。ピッチで何を感じ、どう思っているのか。大切にしている言葉、今強く意識(いしき)している言葉を色紙に書いてもらい、その胸(むね)の内に迫(せま)ります。

 2月27日のJ2開幕戦(かいまくせん)。試合終了(しゅうりょう)を告げる笛が鳴った瞬間(しゅんかん)、小さくガッツポーズ。そして選手、スタッフとハイタッチを交わしました。「ほっとした」。新たな船出に勝利し、何ものにも代(か)え難(がた)い喜びをかみしめていました。
 昨季、V長崎のコーチに就任(しゅうにん)。でもJ1昇格を最後に逃(のが)しました。今季は手倉森誠(てぐらもりまこと)前監督(かんとく)から引き継(つ)ぎ、監督に昇任(しょうにん)。「昨年のサッカーをベースに自分流に磨(みが)きをかける」。そう意気込(いきご)んでいます。
 開幕戦の前半、まさにそれを体現(たいげん)。攻守(こうしゅ)ともにアグレッシブで、主導権(しゅどうけん)を握(にぎ)りました。「ボールをわれわれのものにする」の言葉通り、ボールを持てば攻(せ)め立て、ボールを失えばすぐに奪(うば)い返す。ワクワクするサッカーを見せてくれました。
 そんな吉田監督がサッカーを始めたのは小学4年生の時。兄の影響(えいきょう)で始め、根っからのFWでした。「点を取ったり勝ったりする喜びを仲間と分かち合える」と、のめり込(こ)みました。
 高校時代から年代別の日本代表を経験(けいけん)し、卒業と同時に横浜(よこはま)フリューゲルスに加入。そこから19年-。天皇杯優勝(てんのうはいゆうしょう)と所属(しょぞく)チームの消滅(しょうめつ)、J1とJ2で優勝、J1昇格、J2降格(こうかく)と、36歳(さい)で引退(いんたい)するまで他に類を見ない場数を踏(ふ)んできました。
 その中で学んだのは「チームがつらい時に何ができるか。みんなが下を向いている苦しい時こそ、自分発信で前を向かせる」こと。それが自分の存在価値(そんざいかち)だと言います。
 そんな姿勢(しせい)だったからこそ、フリューゲルスのチーム消滅(しょうめつ)前、最後の試合で天皇杯優勝に導(みちび)く決勝点、同じ生年月日で戦友の松田直樹(まつだなおき)さんが亡(な)くなった直後に決めた2得点、自分の引退試合でのゴールと、節目に必ず決めてきたのでしょう。
 38歳から指導者(しどうしゃ)人生をスタートし、3度目の監督。「監督はコーチと別物。決断(けつだん)やチームのマネジメントが入ってくる。選手、スタッフの家族や応援(おうえん)してくれる人を背負(せお)う重みがある。でも、その分勝った時の喜びは格別(かくべつ)」と言います。
 V長崎での戦いも、楽なことは一つもありません。厳(きび)しい戦いを支(ささ)えるのは「楽は苦の種 苦は楽の種」という父の言葉。「苦しい時を乗り越(こ)えたら楽しいことが待っている」と、子どもの頃(ころ)から教えられた言葉が原点にあります。
 14日で44歳。その日、選手の前で宣言(せんげん)しました。「人生って本当に分からない。みんなと出会えたことも奇跡(きせき)。44歳の年はみんなで昇格して、いい年にしたい」。“昇格”-。その2文字に全てを注ぎます。

今季開幕戦で勝利を収め、スタッフらとハイタッチ

© 株式会社長崎新聞社