77年ぶり写真で“帰還” グアムで戦死の間瀬さん 長崎県遺族会から縁故者へ

遺留品として返還された間瀬仙太郎さんの写真

 1944年に西太平洋のグアム島で戦死した長崎市出身の間瀬仙太郎さん(享年17)の写真が、遺留品として77年ぶりに古里へ“帰還”した。厚生労働省の戦没者の遺留品返還事業の一環で見つかり、県連合遺族会会長の山下裕子さん(79)が遺族捜しに奔走。19日、縁故者として同市魚の町の会社役員、山口喜三さん(58)が受け取った。
 写真の複写や遺留品調査票が日本遺族会から県連合遺族会に届いたのは昨年10月。あどけなさが残る水兵服姿の少年兵は「佐世保海兵団」の帽子を着けており、写真の裏には「花は櫻木 人は軍人」などと直筆で記されている。
 間瀬さんは海軍部隊第54警備隊に所属し、44年8月10日、グアム島西部の明石湾近くで戦死。部隊の仲間と共に靖国神社で祭られている。写真は間瀬さん自身がグアム島に持参し、戦死後、米兵らが本国に持ち帰っていたものが返還事業で差し出されたらしい。
 山下さんの父茂樹さん(享年37)は佐世保海兵団で砲術を指導する教班長だった。山下さん宅にある父の教え子の写真が、構図的に間瀬さんと同じ写真館で撮影されたものとみられ、親近感を覚えたという。
 遺族捜しの際、手掛かりは間瀬さんの本籍が本大工町(現・魚の町)で、あとは写真の裏に記された南山手町の住所、父親の名前だけ。山下さんは調べて回り、「寺町付近に間瀬家の墓がある」との情報をつかんだ。12月、寺町の延命寺の一画に間瀬家の墓を確認。しかし墓石に「仙太郎」の名はなく、「これでは浮かばれない」と思った。

県連合遺族会会長の山下裕子さん(左)から間瀬さんの写真を受け取る山口喜三さん=長崎市、県護国神社

 住職らに尋ねたところ、遺族は既に他界。間瀬さんの父福三郎さんと親しく交流していた男性がいたことが分かり、その孫の山口さんに縁故者として写真の受け取りを依頼、供養になればと快諾してもらった。山下さんらは住職に相談し、墓石に名前を刻んだ。
 この日、山下さんと山口さんは延命寺を訪れ、法要後、間瀬家の墓に写真を飾り、献花。写真は、城栄町の県護国神社で山口さんに手渡された。市連合遺族会女性部員らは「仙太郎くんお帰りなさい」と記した横断幕を掲げて、笑顔で出迎えた。
 境内では、サクラの花が見ごろ。山下さんは「戦地では両親や古里のことで頭がいっぱいだったはず。桜花となって両親の元に帰ってきたんですね」、山口さんは「間瀬さんは私たちに平和の尊さを教えてくれた。写真を大切にしたい」と話した。


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