【昭和ロックを語る時が来た!】ニューオーリンズで聴いて衝撃!ブルースのルーツはやっぱり黒人 音の厚みが違った

エディ(左)が語る貴重な経験にユカイが食いつく

【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:エディ藩編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(59)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。ゲストは伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)。1966年、米国音楽旅でニューオーリンズのブルースの店をひとり訪れたエディは、奏でられる音に衝撃を受け、音楽の趣味が一変したという。

ユカイ 前回の話、黒人のブルースの店の従業員がエディさんを白人だと思ったのは、当時、ニューオーリンズまで来るアジア系があまりいなくて、見たことなかったからでしょうね。エディさんは初めて日本から来た客だったかも。どんな曲やってました?

エディ フレディ・キングみたいなブルースをやってたよ。聴いたことがないブルースのリフも。かっこ良くてさ。ジェームス・ブラウンが使ってるリフもあって、昔からこういうの使ってたのかとすごい勉強になった。

ユカイ その人も有名なギタリストでした?

エディ まったく無名。ボトルネック奏法もその時初めて見てね。

ユカイ 南部への音楽旅は得るものが多かったんじゃないですか?

エディ 出発前はゼムやヤードバーズのリバプールサウンドにハマってたんだけど、ニューオーリンズで黒人の音を聴いちゃったら、厚みが違うんだよね。イギリスは確かにうまいけど、歌もギターもちょっと違うなぁと思って。やっぱりブルースのルーツは黒人。これが正解なんだと思ったよ。でも、本当にうまいのに、教えてくれって言うと「理論がわからない」って言うんだ。フィーリングでやってるから。

ユカイ 白人ブルース・ギタリストの代表、エリック・クラプトンは、クリームのラストライブの演奏を解説しているフィルムとかありますね。

エディ クラプトンは理論をよく知ってるし、インタビューでもちゃんと説明しているけど、B・B・キングがそういうことを語っているという話は聞いたことがない。だけどやっぱりすごいんだよな。これがデトロイトになると、マーヴィン・ゲイやテンプテーションズはモダンで音が洗練されている。ちゃんと教育を受けた人たちが作ってるんだよ。

ユカイ モータウンのドキュメントでそういう話、ありましたね。

エディ そう、そのドキュメントを見てわかった。モータウンはクラシックを聴いて育って、管楽器のアレンジができるような人もいたからね。でもおれはやっぱり、ニューオーリンズで聴いたようなのが好きなんだよな。

ユカイ 1966年というと、日本はGSブームが起こる直前ぐらい。こういう話がわかる人、いなかったんじゃないですか。

エディ いや、スパイダースのかまやつひろしさんと井上堯之さんはわかってたと思う。スパイダースは同じ66年にヨーロッパに行って、イギリスのテレビ番組にも出てたからね。

ユカイ スパイダースって音楽的に早かったですよね。そのスパイダースがカップスの演奏を見るためにゴールデンカップまで来たって、改めてすごいことですよ。そういえば、旅行中、英語は大丈夫だったんですか?

エディ インターナショナルスクールに行ってたからさ。それに基地があったころ、この辺は英語できる人多かったよ。

ユカイ それで直接、「教えてくれ」って聞けたんですね。エディさんって最初からギターがうまいし、他の日本のギタリストとは明らかにプレイが違うと思ってたんですが、ここまで話を聞いてきて理由がわかりました。19歳でアメリカに行き、当時の日本には全く入ってなかった本格的な音を聴き、プレイをじかに見て吸収した。日本ではここ、ゴールデンカップで演奏しながら、目の前の米軍基地から遊びに来る、ベトナム戦争に従軍していたミュージシャンたちからも学んでいた。ギターを学んだ“場”が圧倒的に他の人と違ったんですね。そういえば、エフェクターのファズを日本に最初に持ち込んだの、エディさんなんですよね?

エディ それは言わないようにしてるんだよ。

☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。

☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。

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