1972年3月6日“猪木丸”船出も坂口VSレイス戦のサイド記事扱いだった

【写真右】ゴッチ(上)のリストロックに苦しめられた猪木【同左】

【プロレスPLAY BACK(113)】新日本プロレスの旗揚げ記念日大会(4日、日本武道館)は大成功で幕を閉じた。メインでエル・デスペラードに勝利した飯伏幸太が初代IWGP世界ヘビー級王者に認定され、新たな歴史がスタート。また入院中の団体創設者、アントニオ猪木氏は先日、SNSで元気な姿を公開し、ファンに力強いメッセージを届けた。

今から49年前の1972年3月6日には大田区体育館(当時)で旗揚げ戦が行われた。今では業界盟主の座を揺るぎないものにした新日本だが、当時はテレビ中継もなく、旗揚げ前から「何か月持つか」と評されたほどの見切り発車だった。メインは猪木対“神様”カール・ゴッチの黄金対決で、5000人(主催者発表)の観衆を集めた。

旗揚げ戦は本紙1面に掲載されたものの、サイド記事扱いの小さなもので、ジャイアント馬場が在籍した日本プロレスの記事がメインだった。大見出しと写真は、後に新日本に合流する“世界の荒鷲”坂口征二とハーリー・レイスのタッグ戦。プロレス面では新日本の今後を冷静に分析する記事が載った。

「猪木丸は船出した。懸念されていた観客動員も九分の入りでまずは成功した。『いろいろ苦労したが、これで苦労のかいがあった』と猪木はホッとした表情。夫人の倍賞美津子さんや姉の千恵子さん、坂本九ら芸能人の顔もあって華やかなムード。思いもよらぬ豊登の飛び入りというハプニングもあってムードは盛り上がっていた。

だが手放しで喜んではいられない。船出した猪木丸にとってはこれからが勝負だ。いつもハプニングがあるわけではない。猪木を中心とした一門のレスラーの実力だけがこれからの勝負のポイントになるからだ。セミで豊登と組んだ山本小鉄の暴れっぷりは売りものの一つになるはずだ。猪木、山本、メキシコ帰りの柴田勝久と魁勝司、北沢幹之の4人が中心となるだろう。木戸修、藤波辰巳(現辰爾)の若手はまだまだ外国人と戦うには力不足。その意味では豊登が本格的にシリーズに加わるかが、成功のカギとなるだろう。

猪木については今さら言うことはない。実力世界一のゴッチに敗れたとはいえ、好ファイトを見せた実力はやはり一流のものだ。3か月ぶりの復活はプロレスファンにとって喜ぶべきことである。東京プロレス(66年旗揚げ、翌年崩壊)の二の舞いにならないよう“船長猪木”の手腕が注目されるところだ」(抜粋)

論調は厳しく明らかに新日本を“反主流派”と認識している。旗揚げシリーズの記事はいずれも小さなものだった。しかしこの逆境から猪木は逆襲を開始。同年10月蔵前国技館でゴッチから“幻の世界ヘビー級ベルト”を獲得。翌年坂口が合流してNET(現テレビ朝日)の地上波放送が始まると、一気にマット界の中心へと進み始める。(敬称略)

© 株式会社東京スポーツ新聞社