“ノルドシュライフェの女王”ザビーネ・シュミッツが亡くなる。各方面から惜別の声相次ぐ

 去る3月16日、1996年、1997年のニュルブルクリンク24時間で総合優勝を飾るなど、“ノルドシュライフェの女王”と呼ばれ、ニュルブルクリンクを中心に活躍した女性ドライバー、ザビーネ・シュミッツが4年に渡るガンの闘病の末、享年51歳で亡くなった。

 1969年、ニュルブルクリンクの近郊の町のアデナゥで生まれたザビーネは、ニュルブルクで育った。母ウルスラが経営する『ホテル・アム・ティアガルテン』やその地下にある、日本人関係者も数多く訪れる石焼ステーキで有名なレストラン『ピステンクラウゼ』では、毎週のように多くのレーシングドライバー、チーム関係者やファンでごった返すほどに賑わっており、モータースポーツを愛する人々から可愛がられて育った。

 ホテル専門学校を卒業し、ホテリエとソムリエとして働くかたわら、愛車で彼女の“庭”でもあるノルドシュライフェでツーリスト走行を楽しんでいたものの、次第にさまざまなカテゴリーのレーシングカーをドライブし、モータースポーツへとのめり込んでいく。1996年と1997年にはニュルブルクリンク24時間レースで総合優勝し、史上初のニュル24時間レースで総合優勝した女性ドライバーに。1998年にはニュルブルクリンク耐久シリーズで同じく史上女性初のシリーズチャンピオンに輝いた。

 2005年、ザビーネのパートナーであり、食肉加工メーカーを営むジェントルマンドライバーのクラウス・アベレンとともに、今もトップチームとして活躍するフリカデッリ・レーシングを設立し、念願であった自身のレーシングチームを持つ(ちなみにフリカデッリとはドイツのハンバーグのこと)。

『世界最速のハンバーグ』というインパクトの大きい広告メッセージを掲げ、一度見たら忘れられないハンバーグの写真がラッピングされたたポルシェとザビーネの人柄で、またたく間にニュルの人気者となったフリカデッリ・レーシング。2008年にはニュル24時間で総合3位に入賞している。

 また、2014年のニュルブルクリンク耐久シリーズの第5戦。激しい雨が降りしきるなか、スタートドライバーを担ったザビーネは、第1スタートグループのはるか後方からスタートしたものの、なんと1ラップ目で驚異の44台抜きを果たし、48番手から4番手まで浮上した。そのラップは8分49秒を誇り、男性のプロドライバーさえも太刀打ちできない走りを魅せ、今もなおそのレースはニュルで語り継がれている。彼女の伝説のレースとなった。

 2015年と2016年にはニュル24時間レースのサポートレースとして開催されたWTCC(世界ツーリングカー選手権)でシボレーRMLクルーズTC1を駆り、両年で10位入賞、ポイントを獲得し、WTCC史上においても最も成功した女性ドライバーとして記録を残した。また『リングタクシー』のドライバーとしても有名なザビーネは、ノルドシュライフェのツーリスト走行の際に数多くのファンを助手席に乗せて走った。

 一方で、有名なイギリスのテレビ番組『トップギア』にも数多く出演し、そのユーモアあふれる人柄でイギリスをはじめ、世界の多くのファンを楽しませた。

 しかし、パートナーや家族、そして自身のレーシングチームを率い、幸せの日々を送っていた彼女に2017年、ガンに冒されていることが告げられた。その状況を自身のFacebookでファンに説明し、必ずレーシングドライバーとして復活できるように治療に専念することを発表した。多くのファンやニュルの関係者、チームやドライバー仲間からの励ましを受け、手術や過酷な化学療法にも懸命に励み、2019年の夏には本人の強い気力とリハビリを経て、念願だったニュルで再びレーシングカーのステアリングを握った。2020年のニュル24時間では、ガンに冒される前よりも随分と痩せてはいたが、ピットでチームメイトたちを応援する元気そうな姿を見せていたものの、それまでにも何度も再発と転移が彼女を襲った。

 いつも輝く天真爛漫な笑顔と飾らない気さくな人柄と、アグレッシブな力強い走りは多くの人々を魅了した。いつも彼女のまわりには大きな人だかりができていた。彼女の大きな笑い声が聞こえないのは残念だが、彼女の記憶はニュルやモータースポーツに関わるすべての者に深く刻み込まれ、決して忘れ去られることはない。ファンの有志の署名運動がきっかけだが、その思いはニュルブルクリンクの代表取締役ミルコ・マルクフォルトらの心も動かし、ノルドシュライフェのコーナーもしくはセクターに、彼女にちなんで『ザビーネ・シュミッツ』の名を刻むことを、社内や関連機関と話し合いの上、検討をすると3月13日のニュルブルクリンクのシーズン開幕前の記者会見で語っている。

 ザビーネの訃報には、ニュルやドイツのモータースポーツ関係者のみならず、ニュルに挑戦していた日本人関係者、F1をはじめ数多くのドライバーやチーム、ファンらが追悼の意と彼女の功績に敬意を寄せたメッセージを発信している。

 プライベートではパートナーとともにヘリコプターを所有し、ザビーネ自身もヘリコプターの操縦士の免許を取得しており、療養中も生まれ育ったニュルの上空をパートナーと共に何度も楽しんでいたようだ。亡くなる1ヶ月程前の2月12日にも雪景色で美しいニュルの上を飛ぶ写真をFacebookにアップして元気そうなコメントを添えていたが、3月16日には、その大空へと永遠に飛び立ってしまった。

 3月27日には待ちに待ったニュル耐久シリーズが開幕するが、ザビーネの姿はもうピットで二度と見掛ける事はない。しかし、いつものように満面の笑みと大声の笑い声とともに、ニュルを見守っているに違いない。

明るい笑顔が魅力だったザビーネ・シュミッツ
ハンバーグが描かれるフリカデリ・レーシングのポルシェ911 GT3 R。ニュルの強豪のひとつだ。

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