「本当に五輪を開催していいのか…」。県内の聖火ランナーに選ばれた田中江里さん(53)は、葛藤を抱きながらも参加を決意した。新型コロナウイルス感染症対応の最前線に立つ医師として、感染リスク拡大への不安は尽きない。それでも、「五輪や聖火リレーには生きる希望をもたらす力がきっとある」。そう信じてトーチを掲げる。
新型コロナの感染拡大は収まらず、著名人の辞退者も相次ぐ。田中さんの心境も、感染状況に応じて「変わる可能性もある」。踏みとどまらせるのは、五輪開催に希望を抱く高齢患者たちの言葉だ。
「東京五輪までは生きていたい」「人生の最期にもう一度オリンピックを」
院長を務める葉山ハートセンター(葉山町)は、高齢化が進む地域の中核病院。「2度目の五輪」に話題が及ぶと目を輝かせ、生きる活力をみなぎらせる患者の姿に「お年寄りを元気づけたい」。そんな思いに引き寄せられるように、転機は訪れた。
一昨年夏、偶然立ち寄った県庁で目にした聖火リレーの申し込みチラシ。「くじ引きは当たったことがない」“ダメ元”の挑戦から数カ月後。届いた吉報に、患者たちが「絶対に見に行く」とはじけさせた笑顔が忘れられない。
ただ、新型コロナの感染拡大で「迷い」が生まれた。昨年2月、集団感染が起きたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の下船者を受け入れた。心臓疾患の治療が専門のため、10人の感染者受け入れは至難の連続。その後も症状が回復した患者を受け入れ、ウイルスに対峙(たいじ)してきた。
五輪開催は感染拡大のリスクを高め、高齢者に危険を及ぼすことは承知の上だ。それでも、五輪やパラリンピックが「お年寄りに活力を与えてくれる」との思いが消えることはない。
「誰かが誰かを責めたり、未来に希望を抱けなかったり。世界中に閉塞(へいそく)感が漂う中、五輪や聖火リレーがきっと誰かを元気づけられる」。走るのはわずか200メートル、されど─。超高齢社会に生きる人々の思いを世界に発信する。