1971年初来日 “仮面貴族”がマスカラス旋風を日本各地で巻き起こす

星野勘太郎との日本初試合は、ダイビングボディーアタックで快勝

【昭和~平成 スター列伝】“仮面貴族”ミル・マスカラスが1971年2月18日、日本プロレスの招きで待望の初来日を果たした。まだまだ外国人レスラー=ヒールという図式が普通だった時期で、当初のニックネームは“悪魔仮面”。一方でファンの関心度は高く、東京国際空港の到着ロビーに姿を見せると、サイン色紙やカメラを持った100人近いファンに取り囲まれてもみくちゃになった。

即会見に臨み「本名はミル・マスカラス、生まれたのは数十年前」とあいさつ。続けて「私のレスリングはブレーン(頭脳)、マッスル(筋肉)、ボディー(体)、スピード、テクニック、スタミナの結集したもの。相手レスラーより“より速く”パワフルにアタックするのが私の戦術だ」とアピールした。また「昨年12月、ロスでジン・キニスキーとジャイアント馬場の試合を見た」と明かした上で「馬場はビッグレスラーだが、それほど強いとは思えなかった。私なら勝ってみせる。馬場はウイークポイントだらけだ」と指摘。プライドの高さがうかがえる発言だ。

翌19日、日プロ春の陣「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」が後楽園ホールで開幕。マスカラスは星野勘太郎と対戦し、ドロップキック3連発で追い込むと、コーナーポスト最上段に駆け上がり華麗に宙を舞った。必殺のダイビングボディーアタックでの快勝に「星野は動きもいいし、ガッツもあってメキシカンのようにいいレスラーだ。しかし、相手がオレで不運だった」と胸を張った。

その後は日本各地で旋風を巻き起こし、3月2日には蔵前国技館で“ギリシャの彗星”スパイロス・アリオンとのコンビで馬場、アントニオ猪木組が持つインターナショナルタッグ王座に挑戦。敗れはしたものの、猪木とのテクニック合戦で目の肥えたファンもうならせた。

3月6日には、その猪木とのシングルマッチが実現。1本ずつ取り合った後、3本目はフライングクロスチョップをかわされて、そのままダイレクトに場外へ。右ヒザを強打し無念のリングアウト負けとなった。猪木が「3本目、あの一発をかわしきれたのは、いくぶんラッキーな面もあったね」と言えば、マスカラスも「猪木は気の抜けない相手だ」と話し、再戦ムードが高まったが、これが最初で最後のシングル対決となった。

日プロ崩壊後は、全日本プロレスに参戦する。77年から入場テーマ曲にジグソーの「スカイハイ」が使われるようになると、曲とともに人気爆発。78年には実弟ドス・カラスも来日し、マスカラス・ブラザーズとしてブームを巻き起こした。(敬称略)

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