確証ない次の五輪… 柔道日本代表・永瀬の母 内定維持も胸中複雑

息子がけがをした時は「私の方が焦っていたかもしれない」と語る小由利さん=長崎市

 「東京五輪はあるんでしょうか…」
 2月下旬、柔道男子81キロ級日本代表の永瀬貴規(旭化成)の母、小由利さんは祈るようにつぶやいた。開幕まで4カ月を切った今も、世論は開催を望まない声が根強い。「“次がある”って言う人もいるけれど、確証はないですよね」。複雑な胸中を口にした。

◆私が焦った
 貴規は3きょうだいの末っ子。長大付小1年から柔道着に袖を通した。三つ上の兄や周りの動きを見て覚えるのが得意な子だった。誰が何の技で勝ったか聞かれたら即答する。「こうするのは誰でしょう」と物まねしてクイズを出すほど、非凡なセンスがあった。
 長大付中時代は柔道部がなかったため、県内の強豪高校へ出稽古して鍛えた。送迎は仲間の保護者と協力。税関職員の父は単身赴任だったため、小由利さんは仕事帰りに車で迎えに走った。急成長した長崎日大高時代、国際大会に出だした筑波大時代、そして今も…。ずっと応援してきた。
 2016年リオデジャネイロ五輪も会場へ足を運んだ。準々決勝で敗れ、金メダルの夢が消えた瞬間、一度は両手で顔を覆った。でも、敗者復活戦になると普段通りに声援を送った。銅メダルを手にする姿に涙ぐみ「お疲れさまと言ってあげたい」とねぎらった。
 それからは試練が続いた。17年10月、ブダペスト世界選手権で大けがをして右膝を手術。当日は病院に駆け付けた。「待っている間、気が気じゃなかった。長く感じた」。難しい手術は成功したが、珍しく落ち込んでいるように見えた。その後はつらいリハビリが約3週間。乱取りができるまで半年以上もかかった。「本人は何も言わなかった。私の方が焦っていたかもしれない。心配をかけないように気を使っていたのかな」

◆不安な日々
 復活をかけた国際大会でも、いつもと変わらず声援を送った。息子は期待に応えるように結果を残して、再び五輪の出場権を勝ち取った。だが、夢舞台は新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年延期に。「代表の再選考があるのかどうかが、ものすごく不安だった」。しばらくは方針が決まらずに、もやもやする日々。約2カ月後、内定の維持が決まると「すごくほっとした」。
 もともとは興味がなかった柔道。今では海外の試合もチェックするほど好きになった。「他国の選手は1、2月も数多くレベルの高い試合をしていた。日本は置いていかれているんじゃないかと感じた」。そんな不安も抱えながら、開幕を信じて待つ。
 そして近くで苦難を乗り越えてきた姿を見守ってきたからこそ、誰よりも強く願っている。リオの銅を東京で金に変えてほしいと。

▽ ▽ ▽
 早々に東京五輪内定を決めていた長崎県勢アスリート。コロナ禍の影響で1年延期となり、家族も戸惑う日々が続いた。古里から息子の活躍を祈り続ける親の思いを聞いた。

 


© 株式会社長崎新聞社