船木誠勝が語る第2次UWF解散 伝説の万歳三唱「前田さんと神さん、どちらが正しいのか…」 

前田をリングに上げ、万歳三唱した船木(左から3人目)ら(1990年12月1日、長野・松本運動公園体育館)

ハイブリッドレスラー・船木誠勝(51)が遭遇した様々な事件の裏側や真相を激白する当企画。今回は第2次UWFの解散・分裂騒動を前後編の2回にわたってお届けする。新日本プロレスを退団し、飛ぶ鳥落とす勢いのUWFに加入した船木だったが、Uの内情は思いもしないものだった…。時代の寵児から一転、崩壊の道をたどったUWFの真実とは――。

【THE FACT~船木が見た事件の裏側(4)】UWF移籍第1戦(1989年5月4日)の直前でした。事務所にいると、いきなり会議室から前田さんの怒鳴り声が聞こえてきたんです。すると前田さんが出てきて何か捨てゼリフを吐いて、置いてあった段ボールをバーンと殴りました。鈴木(浩充)専務が「前田さん、それはないんじゃないですか」と言うと、前田さんは「ああ?」。殴りにいきそうになったんですよ。

前田さんが何とか帰った後、神(真慈)社長(当時)は「あんな人だから」と…。「なんだこれは」ってなりました。大ブームを巻き起こしていたUWFは、実は一丸じゃないんだと思い知らされました。事務所と前田さんの関係がよくなかったんです。

そうこうしているうちに自分と前田さんの関係もぎくしゃくしてきました。骨折して欠場している間、前田さんと会話することがなくなって、しかもプロレスの方向性でもちょっと溝ができてしまって。日本武道館での試合では前田さんにリング上で説教されたこともありました。

そのころぐらいから前田さんは自分たちと一緒に練習しなくなったんですね。事務所のことを調べてたそうです。お金の流れとかですね。神さんたちが不動産を購入したとか、前田さんが1%の株も持たせてもらえなかったこととか。前田さんは役員じゃなくただのレスラーという身分で、契約書も交わさないままやってたと思います。不信感しかなかったんじゃないですか。逆に神さんたちも前田さんをいらなくなってきてたような気がします。

神さんは「1年たったから(自らの)給料を100万円にしたから」って言ってきました。なんでそんな個人情報を自分に言ってきたのか。前田さんに知らせてほしいと思ったんでしょうか。そんな微妙なバランスの中で事件が起きました。

90年10月、大阪城ホールで前田さんと2回目の試合をしました。結果的に、これが前田さんのUWFでの最後の試合になってしまうんですが…。その試合後の記者会見で前田さんは「事務所が横領してる。それをこれから突き詰めていく」と言っちゃったんですよ。神さんは社長権限で即座に前田さんを出場停止処分にしました。

すると、今度はUWFが最期を迎えます。12月1日、長野・松本市運動公園体育館大会。自分が高田(延彦)さんや山崎(一夫)さん、藤原(喜明)さんを差し置いてメーンをつとめることになっちゃったんです。そんなときに大会のプロモーターが「今、前田さんと事務所がおかしくなってるよね。第三者の弁護士にどっちが正しいのか聞くから、選手も何人か来て判断してほしい」と連絡してきたんです。

自分と鈴木(みのる)、宮戸(優光)さんの3人で長野に飛びました。で、弁護士さんいわく、神さん側が不利だと。だとすれば、前田さんは正しいんじゃないか。事務所には内緒で前田さんを長野に呼ぼうとなりました。

その晩に鈴木、宮戸さんとまず高田さんのとこに行きました。高田さんは「おお、いい話だね」と言ってくれて、高田さんも加わって前田さんにところに向かいました。すべての試合が終わったらリングに上げる段取りで、前田さんもOK。藤原さんは朝の6時に家に押しかけて了解してもらいました。

それで大会当日、自分がメーン終了後に「前田さん、出てきてください」とリング上から呼びかけ、前田さんが出てきて、全員で万歳して一致団結を訴えて終わったんですが、次の日、全選手が解雇されました。会社の方針に反したのが理由です。新生UWFは終わりました。

それからは前田さん中心にみんなやっていくつもりだったんですが…。その顛末はまた次回で。

【今回の事件】東京ドーム大会を成功させるなど一大ブームを巻き起こしたUWFだったが、神真慈社長(当時)ら一部フロント陣の横領疑惑をエースの前田日明が主張。1990年12月、長野・松本運動公園大会終了後、所属全選手が出場停止処分を受けた前田を勝手にリングに上げたことで、神社長が全員を解雇。大人気だった第2次UWFはあっけなく瓦解した。

☆ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月13日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルは3冠ヘビー級王座。得意技は掌底など。

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