上越市市制施行50周年 合併アラカルト〈1〉市章制定 「上」の字で若葉 〝限りない発展〟表現

 昭和46年4月29日、高田、直江津両市の合併により、上越市が発足した。人口規模の大きい自治体同士の対等合併は国内の自治史上初めてで、全国から注視された。新市誕生や合併に伴う動きは行政、民間を問わずにさまざまあり、今につながっているものも多い。「合併アラカルト」と称して話題を拾った。初回は市章選定の流れを紹介する。

 上越市の市章は、市民公募を経て昭和46年12月に制定された。円形の白抜き部分は、上越市の「上」の字。草書体で若葉を形作るように記し、「新しい日本海時代に向かって限りない発展」を表現した。

 同年発行の『広報じょうえつ』によると、市章の選定基準は「上越市が永遠に発展する姿にふさわしいもの」「上越市の特性がもられたもの」など。計422点の力作が寄せられ、5回にわたって慎重に審査。松川ケイ子さんの作品を採用し、審査委員だった筑波進さん(当時・高田工業高教諭)が手直しして完成に至った。

 筑波さん(83)によると、審査は自身と、旧新潟大高田分校で教べんを執っていた彫刻家・戸張幸男さん(故人)の二人を中心に実施。多くの市章などに左右対称のデザインが取り入れられていたという時世の中で、躍動感のある松川さんの作品は「当時としては新鮮だった」。400点超の応募を「今考えると、市民の関心が高かったのだと思う」と振り返る。

発案者の松川さん ヒントは娘の一言

 松川さん(80、上越市北城町4)は当時、子育てに励む30代前半の主婦。通信教育でレタリングの技法を学び始めていたこともあり、応募を決めた。「『上』の字を使うことにして、一筆書きで草書体で、あれこれ試行錯誤していた。それをのぞき込んでいた当時幼稚園児の娘が『葉っぱみたい』と。私は思わず膝を打ち、『あ、それでいこう』と思った」

 自身のデザインを生かした市章が世に出たことで、広告関連の仕事が舞い込むようになった。数多くのPOPやチラシ、ロゴ、マークなどを生み出し、デュオ・セレッソ(同市西城町3)のネーミングとロゴ、マークデザインも手掛けた。「市章をデザインしたことで、その後の人生に道筋ができた」と話す。

当時の新聞記事などとともに、しみじみと振り返る松川さん(4月28日、上越市内の自宅で)

 市章の制定から半世紀を迎え「50年もの間、このマークが使われてきたことに、深い感動と感謝の念でいっぱい」としみじみ語る。

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