チェルノブイリ原発事故から35年…シェフチェンコが壮絶な幼少時代を回顧「地元の友人はみんな死んだ」

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 ウクライナ代表のアンドリュー・シェフチェンコ監督は、幼少時代に起きたチェルノブイリ原発事故を回顧した。

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 1986年4月26日、旧ソビエトのウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所で試験運転をしていた4号機が爆発し大量の放射性物質が放出。4000人以上の死者を出し、多くの子どもたちが甲状腺がんを発症するなど史上最悪の原発事故となった。35年経った今でも廃炉の目処が立っていない中、当時チェルノブイリ原子力発電所から200キロ離れた場所に住んでいたシェフチェンコは著書『La mia vita, il mio calcium』で、壮絶な幼少時代を振り返っている。

「あの時私は9歳か10歳で、夢中でサッカーを楽しんでいた。ディナモ・キエフのアカデミーにも連れて行ってもらっていた。ソ連からバスが到着して、6歳から15歳までの子供たちが連れていかれた。家から1500キロも離れた場所で、まるで映画のような生活をしてたのを覚えているよ」。

「私の住んでいた地域ではどんどん友人が減っていった。放射能ではなく、アルコールや麻薬、武器の問題で死んでいったんだ。ソ連との亀裂は大きくなり、私たちが知っていた世界は崩壊した。他の人々と同じように、友人たちも何も信じられなくなり、非行に走っていったんだ。私を救ってくれたのは、両親の愛とサッカーだけだった」。

シェフチェンコがチェルノブイリ原発事故を回顧 Photo Ian Walton