キム・ミレ(映画『狼をさがして』監督)- 彼らはなぜ爆破事件を起こしたのか? 狼たちの奇跡を辿るドキュメンタリー

釜ヶ崎を通して日本社会を知った

キム監督は2006年に釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた時に、一人の労働者から東アジア反日武装戦線のことを聞き、彼らの活動に興味を持つようになった。

キム:私の父親は建設現場の日雇いの労働者だったんですが、父親のドキュメンタリー撮影中に訪日する機会があり、最初に行ったのが大阪の釜ヶ崎でした。私は釜ヶ崎を通して日本社会を知ったのです。韓国の労働現場でも取材をしていたので、私にとっては釜ヶ崎も見慣れた場所という印象でした。食べ物も安いし宿も安いし、不自由なく過ごせます(笑)。韓国の建設現場では日本語もよく使われているんです。人夫(ニンプ)とか手待ち(テマチ)とか。

2006年冬、キム監督は東京で東アジア反日武装戦線の支援者たちとコンタクトを取ったが、その時は様々な事情で撮影をあきらめたという。その後、2本のドキュメンタリー映画を撮った後、彼女は再び東アジア反日武装戦線と向き合うことになる。

キム:2014年にセウォル号事件があり、このなかで「誰の責任なのか」という問題や、国家が持っている権力や暴力性について考えたからです。光州事件(80年)の時は私はまだ高校生だったんですけど、実際に何があったのかを知ったのは大学生の時に密かに出回っていたビデオテープを見てからでした。当時、軍に抵抗する人たち、命がけで運動を続ける人たちがいて、87年に民主化宣言ができたのですが、その時、私は民衆の力で社会を変えることができるんだと思いました。それなのにセウォル号事件の時、何も抵抗できない人たちが国家のせいで死んでしまった。やっと社会がよくなったと思っていたのに、また同じような国家の暴力が繰り返されたことに、私は深い絶望を感じました。そしてその年に反日武装戦線の取材を始めました。

取材を始めたものの、事件の当事者は行方不明や服役中、あるいは既に亡くなってしまっており、簡単には進まなかった。

キム:当初、私は服役中の人になら会えると思って始めたんです。韓国では、今は死刑執行はなくなってますが、70年代、80年代は、社会運動で捕まって死刑宣告を受けた人がたくさんいました。それでも面会したり話を聞くことができたんです。

そんな折、2017年に〝大地の牙〟のメンバーだった浴田由紀子が出所した。浴田は77年の「ダッカ事件」により一旦は釈放され、日本赤軍に合流していたが、95年にルーマニアで身柄拘束され、輸送中の飛行機で逮捕された。

キム:浴田さんとはずっと手紙のやりとりをしていたのですが、手紙から想像していた通りの人でした。韓国の活動家と似ているなとも思いました。浴田さんの手紙の中で特に記憶に残っているのは、浴田さんの世代にとって朝鮮は北朝鮮と韓国の両方であって、南北の分断は日本に責任があると感じていたことです。手紙には、浴田さんが幼少の頃、村にいた在日朝鮮人の思い出も書いてあり、それは私の故郷とも繋がっている感じがして非常に親近感を覚えました。

二重の加害者意識

東アジア反日武装戦線〝狼〟は1972年に結成された。〝狼〟の運動論であり、日雇い労働者の運動論としても広く影響を与えた『腹腹時計』を執筆した大道寺将司は死刑囚として東京拘置所に収監されていたが、浴田由紀子の出所から2ヵ月後に亡くなった。大道寺が獄中で詠んだ多くの俳句の中には、日本人としての戦争責任に真摯に向き合っていた若者が、自分たちの起こした爆破事件で多くの罪のない死傷者を出してしまったことへの苦しみが表現されている。それは「日本帝国主義の子孫」として、そして「爆弾で人を殺めた者」としての二重の加害者意識でもあった。

キム:結局、大道寺さんに会うことはできませんでしたが、彼の詠んだ俳句から今の考えが伝わってきました。私は俳句を通して大道寺さんと会っていた気がします。

〝狼〟のメンバー4人のうち大道寺将司はじめ3人は北海道出身だ。キム監督は狼たちの痕跡を求めて北海道まで取材の範囲を広げている。

キム:北海道に行って発見できたことはとても多いです。広い大地と自然の中に残されたアイヌの痕跡、例えば地名であるとか食文化から、ここがアイヌの土地だったんだなと感じました。室蘭、釧路、小樽など、〝狼〟のメンバーの何人かの故郷にも行きました。室蘭では労働者のメイデーのデモに参加したり、小樽ではアイヌの話を直接聞いたりして、〝狼〟が北海道で生まれてどういう考えを持ったのかを知ることができました。

戦後75年が経ち、戦争、そして侵略の記憶が薄れていくにつれ、日本には再び隣国に対する差別が亡霊のように噴き出している。日韓関係が戦後最悪と言われる中、東アジア反日武装戦線が目指した反日思想は、彼らの罪とは別の視点でいま再び問い直す必要があるのではないだろうか。

キム:被害者が被害者の立場で声を上げるということよりも、加害者が加害者について話すということの方が難しい。そういう意味で、この映画が考えるきっかけになればいいなと思います。日本の近現代史について調べるのと同時に、韓国の同時代の歴史をちゃんと知らないと、東アジア反日武装戦線を理解することはできなかったんですが、歴史を知ることは現代を生きていく力になると感じました。権力者たちは歴史を再構成して自分たちに都合が悪いことは消してしまおうとする傾向がありますが、それを許さないためにも、韓国人、日本人双方が歴史をちゃんと知る必要があると思います。

© 有限会社ルーフトップ