写真は語る 雲仙・普賢岳噴火災害<5> 火山の脅威 目の当たり 会社役員 廣瀬 健治さん(81)=島原市上の原3丁目=

1992年5月29日の日没後に撮影した溶岩ドーム

 カメラが趣味だった。198年ぶりに噴火した雲仙・普賢岳を記録に残そうと、1991年から約10年間、遠景や近景、火砕流に襲われた島原市安中、千本木地区などの様子を撮影した。雲仙岳災害記念館などで役に立ててほしいと考え、1千枚以上を託している。
 溶岩ドームの成長も撮り続けた。普賢岳登山は規制されていたが「溶岩が崩れ落ちるのは島原市側で、反対側の普賢岳山頂の方は安全」と聞いていたので、天気の良い日を選んで仲間と数人で登っていた。
 写真は、6.3大火砕流から約1年後の92年5月29日に撮影した溶岩ドーム。雲仙市小浜町の池の原園地(標高約800メートル)に駐車し、普賢岳山頂(標高1359メートル)に続く登山道を急いだ。一眼レフカメラや望遠レンズなど重さ10キロ以上の荷物を背負い、片手には丈夫な三脚。山頂付近で日没まで待機し、1キロ以上先に見える鮮やかな赤色を帯びた溶岩にレンズを向けた。
 当時、溶岩ドームのてっぺんは目線と同じくらいの高さだったと思う。露出を上げていたので周辺の岩も写っているが、現場は薄暗く、静寂の中で「ガラガラ」と溶岩がせり上がるような音が響くこともあった。
 普賢岳の山頂を訪れるたびに溶岩ドームはボリュームを増していた。ビルのような高さの岩が切り立っていることもあり、驚かされた。何もなかった場所に溶岩がせり出し、やがて、大きな山になる-。火山の脅威を目の当たりにした日々だった。


© 株式会社長崎新聞社