ポール・オニールの背番号「21」 ヤンキース23人目の永久欠番に

日本時間2月23日、ヤンキースは現役最後の9年間をヤンキースで過ごし、1998~2000年の3連覇を含む4度のワールドシリーズ制覇に貢献したポール・オニールの背番号「21」を永久欠番とすることを発表した。ヤンキースの永久欠番は2017年に背番号「2」が永久欠番となったデレク・ジーター以来5年ぶり23人目(全球団共通のジャッキー・ロビンソンを除く)。日本時間8月22日、本拠地ヤンキー・スタジアムで行われるブルージェイズ戦の前に「ポール・オニール・デー」の一環として永久欠番セレモニーが行われる予定だ。

メジャー17年間のうち最初の8年をレッズで過ごしたオニールは、1992年11月に同じ外野手のロベルト・ケリーとのトレードでヤンキースに加入。正右翼手として活躍し、オールスター・ゲームに4度(レッズ時代にも1度)選ばれたほか、1994年には自身唯一の打撃タイトルとなる首位打者(打率.359)を獲得し、加入1年目から6年連続で打率3割、1997年から4年連続で100打点以上をマークした。

ファンからは「ウォーリアー(戦士)」の愛称で親しまれ、チームの勝利を最優先するプレースタイルで1996年からの5年間で世界一4度というヤンキース黄金期に大きく貢献。レッズ時代の1990年にも世界一となり、通算5度のワールドシリーズ制覇を経験した。

オニールが2001年シーズン限りで引退後、ヤンキースの背番号「21」はほとんど使用されておらず、「ベースボール・リファレンス」によると、2008年にラトロイ・ホーキンスとモーガン・エンズバーグが着用しているだけ。ホーキンスはロベルト・クレメンテに敬意を表して背番号「21」を選択したが、開幕直後の試合でヤンキースのファンからブーイングを浴び、すぐに「22」へ変更した。エンズバーグは招待選手として参加したスプリング・トレーニングで背番号「21」を使用していた。

なお、ヤンキースは背番号「1」から「10」までがすべて永久欠番になるなど、メジャー最多の永久欠番を誇っている。ヤンキースの永久欠番は以下の通り。

「1」ビリー・マーティン
「2」デレク・ジーター
「3」ベーブ・ルース
「4」ルー・ゲーリッグ
「5」ジョー・ディマジオ
「6」ジョー・トーレ
「7」ミッキー・マントル
「8」ビル・ディッキー、ヨギ・ベラ
「9」ロジャー・マリス
「10」フィル・リズート
「15」サーマン・マンソン
「16」ホワイティ・フォード
「20」ホルヘ・ポサダ
「21」ポール・オニール
「23」ドン・マティングリー
「32」エルストン・ハワード
「37」ケーシー・ステンゲル
「42」マリアーノ・リベラ
「44」レジー・ジャクソン
「46」アンディ・ペティット
「49」ロン・ギドリー
「51」バーニー・ウィリアムス

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