【追う!マイ・カナガワ】訪問看護 スタッフの安全どう守る?(下)

退院直後の患者をケアする早乙女さん(右)=横浜市内

 「訪問看護の現場はいつ、どんなリスクにさらされるかわからない。昔から危惧されてきたこと」

 埼玉の事件をどう受け止めるか。神奈川県訪問看護ステーション協議会会長の横山郁子さん(53)に尋ねると、データを示しながら業界の問題点を指摘した。

 患者の自宅という閉ざされた空間で生じるハラスメントは後を絶たない。全国訪問看護事業協会の2018年の調査では、訪問看護師の45%が身体的暴力、53%が精神的暴力を、それぞれ利用者や家族から受けたと回答。さらに事業所の97%が対策の必要性を認めながら、60%が「具体的な対処法が分からない」と答えている。

◆「感情のはけ口」リスク大

 横浜市青葉区で訪問看護ステーション「ナースの家すすき野」を運営する横山さんは、事件を伝えるニュースに10年前の体験をフラッシュバックさせた。

 「大変なことになった。助けて。今すぐ来て」。患者のSOSに男性職員と2人で急行すると、自宅の居間で包丁を手に立つ患者の妻が叫んだ。「この人を殺して私も死ぬの」。足元には割れた食器の破片が散乱し、制止しようと近づくと刃物を向けられた。

 患者宅には週3回訪問していた。訪問外の時間は自宅で妻が一人で夫の看病を抱え込んでおり、精神的に追い詰められていた。

 「落ち着いて」。距離をとりながら、いつでも逃げられるように玄関口から妻を説得した。隙を見て警察に通報したが「事件性がない」と取り合ってもらえず、自治体も現場対応に回らなかった。患者の入院先を決め、その場を後にするまで2時間かかった。

 県内の訪問看護ステーションで働く女性(41)も数年前、訪問先でカッターナイフを突きつけられた。終末期ケアを受けるなか、衰弱していく母の様子に気を動転させた長女に「なんとかして」と刃物を向けられた経験を振り返り、「生死がかかる状況に平常心ではいられない。親身に寄り添うほど、私たちが感情のはけ口になる」と打ち明けた。

◆訪問に人手割けない現状

 埼玉の事件では、男から名指しされた医師ら7人が訪問していたが、訪問の多くはスタッフ1人で行われるという。その理由を横山会長は「訪問する職員数を増やしたくても金銭、人員の両面で増やせない」と明かす。

 事業者の収入となる診療報酬は、単独ではケアが困難な場合や、暴力行為のある患者のケアなど特殊なケースを除き、訪問職員を増員しても加算は認められない。加えて事業所の多くは小規模で、厚生労働省の調査では、訪問看護ステーションの常勤看護職員数は「3人以上5人未満」が最多の32%。訪問に人手を割けない実情がある。

 一方で在宅医療のニーズは右肩上がりだ。同省の調査では、訪問看護の1カ月あたりの利用者数は01年の23万人から、19年には83万人と3倍超に急増。在宅ケアや自宅で最期を迎えることを望む人の受け皿となっている。

◆業界の未来へ制度改革を

 いかに患者に寄り添うか─。事件に心を痛める中でも現場の歩みは変わらない。

 今月18日、横山会長が運営する「ナースの家すすき野」の施設管理者、早乙女真紀さん(48)が、病院を退院したばかりの男性(90)を訪問する現場に、記者は同行した。

 検温、血圧測定を手際よく済ませ、自力で入浴できるかどうかを確かめ、10種類以上の内服薬を飲み間違えないようにと、1日分ずつ袋詰めしていく。

 「元気になったらどこに行きますか」「回転寿司がいいなあ」

 回復後の目標を決め、ともに歩む姿に、患者の妻(88)は「私一人では支えきれない。ありがたいです」と感謝した。

 現場の危険性が取り沙汰されるなか、訪問診療を巡るハラスメントに詳しい関西医科大の三木明子教授は「訪問診療が普及する一方、職員の安全対策は手薄なままだった。この業界を目指す若者を減らさないためにも対策が必要」と指摘する。

 海外では訪問診療に警備員が同行しているケースもあるといい、「訪問を常時2人体制とすれば、一人一人のケアも効率的に進められるし、看護師のセクハラなどの被害も減らせる」と国が制度を改めるべきだと提唱した。

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