松田優作「野獣死すべし」アクション俳優のイメージを覆したピカレスクロマンの傑作  極限とも言える人間の精神世界を浮き彫りにした傑作

アクションスターの頂点へと昇り詰める松田優作

昭和を生きた男たちにとって映画界を見渡した二大カリスマと言えば、萩原健一(ショーケン)と松田優作で異論はないだろう。

「反逆のカリスマ」と言われたショーケンがもたらしたイメージは “負けの美学” だった。青春の焦燥や苛立ち、夢破れ挫折していくリアリティを全身から醸し出していた。俳優としての出世作、『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事(早見淳)は立ち小便の最中に通り魔に刺されて呆気なく殉職という不条理な死に方であり、これこそが “負けの美学” を象徴していた。抗うことのできない不条理の中で命を落とす若者…。このアメリカン・ニューシネマにも通じる美学がショーケンの魅力だった。

一方、松田優作に “負けの美学” は感じられなかった。圧倒的に強く、しなやかで、そして孤高だった。若き日の優作、身長183センチという立派な体躯も含めアクションスターとしての資質が十分だった。長い手足が織りなす躍動感溢れる動きは、大人だけでなく、子供たちも魅了した。

『太陽にほえろ!』におけるジーパン刑事(柴田純)でスターダムに躍り出た優作は、78年から東映セントラルフィルムがプロブラムピクチャーの一環として制作された『遊戯シリーズ』(『最も危険な遊戯』『殺人遊戯』『処刑遊戯』)、そして角川映画『蘇る金狼』でアクションスターとしての頂点へと昇り詰める。

しかし、そこで満足することなく、演技派俳優として新たな道を切り拓こうと決意するのにはライバル視していたショーケンの影響も大きかったと思う。ショーケンが醸し出す “負けの美学” に負けず劣らずの世界観を表現者としてどのように描いていくかが優作の命題であったはずだ。

松田優作、俳優としての転換期にあった「野獣死すべし」

その優作の転換期は1980年にあった。そう。今から42年前の10月4日に封切られた『野獣死すべし』への出演だ。もちろん、演技派俳優として評価を得る兆候は前年からあった。印象的だったのは、79年からテレビ放送がスタートした『探偵物語』で演じた工藤俊作のコミカルかつハートウォーミングな演技だった。それでも世間は優作をアクション俳優という枠にはめたがった。この時の優作の焦燥感は、『野獣死すべし』に帰結することになる。

『蘇る金狼』のヒットで、次作も角川映画で制作されることが決定した。その時の優作の希望はホームドラマだったという。しかし、制作スタッフは、「アクション路線で」の一択だった。無理もないはずである。「“アクションスター” 松田優作『蘇る金狼』に続く待望の新作」と銘打てば、ヒットは約束されたようなものだ。しかし、言うまでもなく、この時点で優作は次のフェーズに移っていた。

俳優として、表現者として自分に何ができるのか―― さらなる高みを目指し暗中模索が続く中、TVドラマシリーズ『探偵物語』の撮影に没頭。その一方で“兄貴分” 原田芳雄の影響から始めたシンガーとしての顔でコンサートツアーを行いアルバムをリリース。そして、この活動は、身体を活かしての表現よりも言霊をどのように届けるか、精神世界をどのように演じるかという次のフェーズに移行するためには不可欠な試みだったのかもしれない。実際この音楽活動は『野獣死すべし』の撮影に向かうにあたり、大きなインスピレーションとなったようだ。当時、優作はこう後述していた――

「野獣〜」やる前にロック(コンサート・ツアー)やったでしょ。これは、やっぱり大きいね。メンタルな部分ですけど、人間の脳は誰も100%は使ってない。100%使ってたら神様だけど、何%しか使ってない。例えば、脳のまん中の人は絵描きさんだったり、それぞれ違う。これ(ロック)って、脳の後ろ側みたいな感じがする。(中略)だから、ぼくにとってのロックっていうのは、潤滑油っていうと失礼だけど、きっかけになったというか…… 違うんですよね、世界が。白くなれる、まっ白になれる。」(角川書店 / バラエティ 1980年6月号)

また、『探偵物語』も本編の中で「『野獣死すべし』やらなきゃいけないんだよ」と脚本を見せるアドリブのシーンがあった。コミカルさと切なさを前面に出していたストーリーも後半になると混沌とした印象が強くなる。これも『野獣死すべし』に入り込んだ影響ではないだろうか。

アクションスターのイメージを葬り去った松田優作

『野獣死すべし』の撮影に臨むにあたって優作は言った。

「アクションにするつもりはぜんぜんない」

―― と。

クランクイン前には、10キロの減量、さらには奥歯を4本抜いたというエピソードは有名だが、ここまで徹底した役作りで、死を観念的に、暴力を圧倒的に信奉する伊達邦彦というキャラクターが生まれた。そこに狂気が垣間見られたのも確かなこと。優作が “共犯者” と称し、この後も数多くタッグを組むことになる本編の脚本家、丸山昇一と、「狂ったものをやろう」という意見が合致していたという。

狂ったもの―― つまり精神世界の極限をこの『野獣死すべし』は体現していた。特にラスト近く、柏木刑事役の室田日出男にロシアンルーレットを強要する緊迫感溢れるシーンは圧巻であり、「リップ・ヴァン・ウィンクルの話って知ってます?」と瞬きひとつせず、空虚な瞳で柏木を見つめながら呟く演技は、日本映画史上有数の名場面だと断言できる。そしてこの直後、伊達はかつて渡り歩いた戦場と現実の区別がつかなくなり、殺戮を繰り返す――。

確かにカジノでの現金強奪、銀行襲撃と、派手な銃撃が随所に散りばめられた壮大なクライムムービーであるが、ここで描かれる派手なアクションシーンよりも、優作演じる伊達邦彦の内面から湧き出る狂気が全編を支配している。つまり圧倒的なエンタテインメントでありながら、極限とも言える人間の精神世界を浮き彫りにした傑作となった。

ショーケンが真正面から体現していた “負けの美学” に対し、優作は人間の暗部にまで深く切り込み、言葉では表現することの出来ない混沌とした深層心理を表現者として描き切ったのだ。

そして、松田優作は次作『ヨコハマBJブルース』では、ロバート・アルトマン監督の「ロング・グッドバイ」をフォーマットに “生” に対する根源的な意味を追求する。そして、1983年に公開された『家族ゲーム』でのシュールかつコミカルな演技は数々の映画祭で受賞。アクションスターというパブリックイメージを完全に葬り去ることになる。

カタリベ: 本田隆

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