ネイト・コルバートが76歳で死去 パドレスの通算本塁打記録保持者

日本時間1月6日、パドレスは1971年から3年連続でオールスター・ゲームに選出され、1969年と1972年にチームMVPに輝いたネイト・コルバートが76歳で死去したことを発表した。コルバートはパドレスでプレーした6年間で163本塁打を放ったが、これは現在でも球団記録として残っている。エイドリアン・ゴンザレス(161本塁打)、フィル・ネビン(156本塁打)、デーブ・ウィンフィールド(154本塁打)、トニー・グウィン(135本塁打)らを上回っており、パドレスの隠れた名選手の1人である。

コルバートの死を受け、パドレスのピーター・サイドラー会長は「我々はパドレスの殿堂入り選手ネイト・コルバートの死去について深く悲しんでいます。このとても困難な状況において、我々の心は彼の妻ケーシーや彼の家族全員とともにあります」とのコメントを発表。「1969年のパドレスの初期メンバーであるネイトは、サンディエゴのスポーツ界における先駆者でした。オールスター・ゲームに3度選出され、パドレスの通算本塁打記録保持者であり、その記録は現在も残っています。フィールド外でもコミュニティに貢献し、恵まれない若者たちに時間を捧げてきました。魅力的な人物であり、心から惜しまれるでしょう」とコルバートの死を悼んだ。

コルバートは高校卒業後にカージナルスと契約し、ルール5ドラフトで移籍したアストロズで1966年にメジャーデビュー。1968年オフのエクスパンション・ドラフトでパドレスに移り、この年から6年連続で2ケタ本塁打を記録した。特に1970年と1972年は自己最多の38本塁打を放つ活躍。1972年8月1日(現地時間)にはブレーブスとのダブルヘッダーで合計5本塁打、13打点という大暴れを見せたこともあった。

キャリア終盤は腰痛に悩まされ、1975年はタイガースとエクスポズ(現ナショナルズ)で合計8本塁打、1976年はエクスポズとアスレチックスで合計2本塁打に終わり、現役引退。1999年にパドレスの球団殿堂が設立された際、ランディ・ジョーンズ(元投手)、レイ・クロック(元オーナー)とともに殿堂入り第1号となった。

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