[読みトキ・戦後78年編]「シベリア抑留」とは?どんな生活だった? ニュースQ&A

 1945年の第2次世界大戦の終結から8月で78年となります。戦争を体験した世代が少なくなる中で、記憶を受け継ごうとさまざまな人が取り組んでいます。今回は戦争に関連する言葉を読みトキます。初回は「シベリア抑留」です。

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Q 戦争が終わった後も、日本に帰れずにソ連(現ロシア)のシベリアに連れて行かれた人がいたの?

A そうです。第2次世界大戦の末期、ソ連は日本との戦争に参加しました。戦後、中国東北部や朝鮮半島北部などにいた日本兵らをソ連各地に連行しました。60万人近い人が戦後も日本に帰れず、建設作業などをさせられました。

Q どんな生活をしていたの?

A とても過酷だったといいます。シベリアの内陸部は寒いときには氷点下50度になったそうです。食糧事情も悪く、危険な仕事をさせられていたため、約5万5千人が亡くなりました。新潟県関係だとシベリア地域で1320人の死亡が特定されています。

Q 帰ってこられた人もいたんだよね。

A 1950年代半ばまでに多くの人が帰国しました。その後、抑留のつらい体験を手記に残したり、子供たちに語り継いだりしている人がいます。記憶を受け継ぎ、悲惨な出来事を繰り返さないようにしたいですね。

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