映画『ボーはおそれている』- これは現実か? それとも妄想、悪夢なのか? 怪死した母の元へ向かう帰省が人生を狂わせる旅へ変貌する帰省スリラー

監督は『ミッドサマー』(2019)で独自のホラーを築いた鬼才アリ・アスター。主演は、『ジョーカー』(2019)では狂気に突き進む孤独な青年ジョーカーを、『カモン カモン』(2021)では年相応になりきれない中年男を演じたホアキン・フェニックス。孤独な青年と年相応になりきれない中年男をデフォルメしたような人物なのが、『ボーはおそれている』のボー。優しく真面目なんだけどズレている孤独なボーを、ホアキン・フェニックスは思い切り良く演じている。アリ・アスター監督は突き進まざるを得ない壮大な旅の試練をボーに与える。試練の連続の物語。

最初のシーン、カウンセラーに話を聞いてもらっているボー。静まり返った部屋。人から見たらどうでもいいような些細なことがボーにとっては大きな不安。ボーの表情は全編を通して実に豊かなのだが、不安そうな、怯えているような、恐怖による驚きとか、そんな表情ばかりだ。笑顔など一つもない。ただでさえ些細なことが不安でたまらないボーに、とてつもなく大きな事件の数々が押し寄せてくる。うん? 本当に事件なのだろうか? 現実の事件ではなく悪夢を見ているのではないか? いや、ボーが見て感じている現実とは、こういうものなのかもしれない。バイオレンス、ヘヴィ、シリアス、そしてコミカル。で、グロイ。

カウンセリングからの帰り、母親からの電話で父親の命日には帰るよう言われる。「私のベイビー」とか呼ばれて。「OK、ママ」と帰省の準備をするが飛行機のチケットは取れず、アパートには害虫注意の張り紙が出ていたり、静かに寝ているのに「音楽がうるさい」とドアにメモを何度も挟まれたり、水道は止められたり。アパートの前の通りは暴力で溢れ、母親に「帰省は遅れてしまうよ」とかけた電話で母親の死を知る。とんでもない死に方の死を。「なんてことだ…。どうしよう。愛するママが死んだなんて」と母親の顔を見るために故郷へ急ぐ。だが殺人鬼に襲われ全裸で逃げる羽目になり、警官には武器を捨てろと怒鳴られる。丸腰のボーが手にしていたのは露店で買った小さなマリア像だけなのに。マリア像を捨て逃げ、車にはねられ、助けてくれた夫婦は医師で一安心。夫婦の娘の部屋で休むのだが、娘の部屋は数多にアイドルのポスターでいっぱい。マリア像と多くのアイドル。その対比。

医師夫婦の家から逃げ出し故郷へ向かうが、道に迷い、世界はガラッと変わり、コミューンのような集まりに吸い寄せられるボー。催し物の芝居はいつしか一人の男の人生の壮大な物語となり、自分の人生だ! とボーは思う。アニメーションを織り交ぜた壮大な物語は、どこか聖書に出てくるような物語だ。アリ・アスター監督の宗教観はわからないし筆者は宗教の知識など皆無だが、奇想天外な流れの中に時折出てくる宗教の匂いが、むしろ現実的な空気を纏っているのが面白い。 まだまだ続く故郷への旅は、母親離れできない中年男のボーが、子離れできず巨大な力で子どもを抑える母親と対峙する旅となっていく。

これは一人の男の人生の物語なのか? それとも、意味とか物語とかをぶち壊した映画なのか? うーん、わからない。ただ、信じる心が大切なのではなく、信じるという概念から解き放たれる行動こそ、何かを生み出すのだ! ってことなんじゃないか? 全裸だったり、血を流していたり、恐れ叫んで不安な顔をしながらも、身体を揺らし走るボーを見て思った。(Text:遠藤妙子)

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