田中亜土夢(セレッソ大阪)、ハーフナー・マイク(ベガルタ仙台)らが去ったフィンランドで、現在ある一人の日本人がプレーしている。
その人物の名前は高橋一輝。
U-13、U-14日本代表を経験しながら、二度の大怪我が原因で柏レイソルのユース昇格を逃す。その後は高校サッカーの名門・流通経済大学柏高校(流経大柏)に入学するも、高三の夏に中退し、一念発起してスペインの首都マドリードへ。
CDレガネスの下部組織入りを果たすと、2017年、モンテネグロの地でプロデビューを飾った。そんな異色の経歴を持つ“侍”は、現在フィンランド二部のFFヤロで奮闘している。
J下部組織、部活サッカー、海外下部組織、欧州の三地域でプレーした“異彩を放つ”21歳(編集部注:6日に22歳の誕生日を迎える)に、過去と現在、そして未来を語ってもらった。
組織戦術はJユース、個人戦術は部活で伸びる
ーーまずは、育成年代のお話を伺います。高橋選手は、中学で柏レイソルのジュニアユース、高校では進学先の流経大柏のサッカー部でプレーしました。Jリーグの下部組織と部活サッカーは違いましたか?
レイソルのジュニアユースは組織的なサッカーで、とにかくポゼッションの練習が多かったです。パスやトラップなどの技術練習が主で、1vs1などの対人の練習はほぼなかったですね。
一方、流経大柏ではフィジカルと個人能力を鍛えられました。まず練習時間が毎日5時間以上と長くて、内容も1vs1などの対人勝負の練習が中心。1時間以上ヘディングだけ、スライディングだけの練習もしました。
あとはとにかく走っていました。流経大柏の考えは「相手より多く走れば試合に勝てる」というもので、チームの調子が悪かったり、問題を起こしたらひたすら走っていました。
個人的にはどちらも良い育成だと思いますが、セレクションで個を表現できるのは高校サッカー(出身者)の方だと思います。もちろん、レイソルの下部組織もすごくて、世界大会に参加しても世界のビッグクラブに引けを取らない成績を残していますが。
自分自身に関しては、レイソルと高校のスタイルをうまくミックスできたと思っています。
ーーその後、高校を中退してスペインのCDレガネスの下部組織に入団。渡西したきっかけは?
中学時代の高円宮杯終了後に、スペインに短期留学したいとレイソル側に頼んで、単身でバルセロナへ行ったことです。
契約を持ちかけられることはなかったですが、その時の雰囲気がすごく良くて、いい刺激を受けて。いずれ怪我を克服して、その時の課題も克服してまたチャレンジしたいなとその時思ったのが(後にスペイン挑戦を決めた)大きな理由ですね。
ーー実際にスペインに挑戦されたわけですが、高校卒業を待たずに中退した理由は?
一回スペインのユースの中でやりたかったからです。
大人になってからだと、日本でめちゃくちゃ活躍した選手でやっと1部に行けるくらいなので、ハードルが高い。それなら若いうちに行ってユースの1部を狙いたいなって。
日本とヨーロッパではシーズンのくくり方が違うので(日本は春秋制、欧州は秋春制)、高3の夏休みに高校を辞めて通信制の高校に転校しました(注:その後卒業)。
ーースペインで学べたことを教えてください。
メンタルがすごく変わりましたね。
日本にいた時はミスした時、自分のせいでうまくいかなかった時に、その日と次の日は落ち込んでいましたが、スペインでは自分が引きずっていたら周りの選手が「お前どうしたんだ?」って言ってくるくらいみんなオン・オフを切り替えるのがうまい。
だから、自分も切り替えは早くなったし、ネガティブに思う回数も時間も減っていきました。最初は慣れなくて、周りが負けても普通にしているのを見ると「負けたのになんで、みんな平気な顔をしているんだよ、空気読めよ」と思いましたけど(笑)。
試合でも、入りに失敗しても自分の中で修正できるようになりました。
ーースペイン4部のレアル・アランフェスを経て、モンテネグロのFKイガロに移籍されました。どのような経緯で新天地を決めましたか?
レアル・アランフェスを退団してフリーになっていた時に、エージェントの人に「本格的にプロサッカー選手として生きていくのだったら、その国の1部か2部でプレーしないと移籍するときに不利だ」と言われたんです。
そして、そのエージェント会社と契約している選手に、ブルガリアで活躍していた加藤恒平選手(現サガン鳥栖)がいて。彼はモンテネグロからポーランドに移籍していたので、じゃあ自分もモンテネグロにチャレンジしてみようってなったんです。
冬の移籍期間でモンテネグロに挑戦しないか、という話を秋にエージェントからもらって、そこから本格的にコンディションを整えて1月にモンテネグロに行って。2部でしたが、そこで初めてプロ契約を結べました。
ーーモンテネグロで一番伸びたと思う部分は?
間合いを取らないでボールを取りにガツガツいけるようになったことです。
距離と時間をかけない守備ですね。日本にいたときより積極的にボールを取りに行くようになりました。あとはボディコンタクトのタイミングとか技術とか体の使い方が上手くなった。
特にモンテネグロではヨーロッパでも特に身長が高くてガタイのいい選手が多いので、そういうことをかなり学べたと思います。フィジカル勝負でも頭を使わないと生き残れないので。
ーーフィジカルの技術が伸びたと。
そうですね、フィンランドに来てから選手が小さく見えます(笑)
―フィンランドも大きい選手が多いように思えるんですけどもそれでも!?
もちろんデカいですけど、モンテネグロは異常です(笑)
ーーハハハ(笑)
モンテネグロもセルビアもデカくてヘディングの迫力が段違い。
ほんとバルカン系のチームでは「日本人は弱い」とか「日本人は戦えない」だとか言われるのですごく悔しくて、例えば球際とか走るだとか、ボールを奪うだとかいう面は毎試合、毎試合意識してやっていました。結局それができないとボールテクニックやキックなど自分の得意分野が上手くいかない試合で通用しなくなりますしね。
おかげでフィンランドに来てからはむしろ球際や守備の面で評価されるようになりました。モンテネグロではボロカスに言われていたのに(笑)。
ーーそして、今冬に現在のFFヤロに入団したわけですね。
いえ、その後セルビアへトライアウトを受けに行きました。
と言うのも、モンテネグロの国内カップ戦でベスト4まで進出したことがきっかけで隣国セルビアのFKボラツというクラブが興味を示してくれて。2部のチームがベスト4まで駒を進めたのはモンテネグロ史上初のことで、準々決勝がTV放映されたのも大きかったみたいです。
セルビアは西欧のスカウトも見に来るくらい注目度が高く、自分みたいな実績のない選手がステップアップするにはぴったりの場所。しかも1部のチームだったので、(FKイガロとの)契約が切れるとすぐにセルビアに飛びました。
けれど、トライアウトの初日で右膝を痛めてしまって、契約には至らなかったんです。それが1月のことで、移籍期限も間近で焦っていたんですけど、そのチームで自分を気に入ってくれていた選手がFFヤロに移るというので、自分がトライアウトを受けられるようにヤロに掛け合ってくれました。
フィンランドは移籍期限が他国よりも遅く(今冬は1月17日から4月10日まで)、トライアウトを経てからでも移籍可能だったんです。
ーー無事トライアウトに合格してFFヤロに入団されたわけですが、フィンランドのサッカーにどのような印象を抱いていますか?
技術が高くてパススピードが速い、とにかくスピーディーで。メキシコ1部で何年もやっていた選手でも驚いているくらいです。
今はポジションがトップ下気味のインサイドハーフなので、攻撃の面で求められていることが多いですね。攻撃で意識しなきゃいけないことが増えました。
おかげで中高時代みたいに、モンテネグロにいた時の「守備への意識」とフィンランドでの「攻撃への意識」がいい感じに自分の中でミックスされるようになりましたね。
チームメイトは五輪の金メダリスト
ーー少しプライベートな質問をしましょう。中高時代のチームメイトで、今でも仲のいいプロ選手はいますか?
手塚康平とは中学時代から仲が良くて、日本に帰れば週3、4回ペースで一緒に温泉に行きます(笑)。
レイソルや流経大柏で自分と一緒にプレーした選手が世界中で活躍しているのを見ると、すごく刺激を受けますね。負けてられないなって。
ーー温泉がお好きなんですね。
日本に戻ったら、ドライブとかも行きますけど温泉が一番好きですね。柏にある岩盤浴とか色ーできる総合的なスパに手塚とよく行っていますね。音楽も好きで、スペイン語の曲をよく聞きます。オススメは『tan facil』(CNCO)って曲です。
スペイン語圏ではレゲトンというジャンルの曲がすごく流行っていて、どこのショッピングモールやクラブに行ってもかかっているくらい。聴くとスペインにいた時を思い出しますね。日本でドライブしていてもかけますし、日本人の友達に紹介しても大抵いい反応がもらえます(笑)。
ーーFFヤロで仲のいいチームメイトは?
一番はダルビン・チャベスですね。ロンドン五輪でメキシコ代表のレギュラー左サイドバックだった選手です。
A代表でも何試合か出ていて、モンテレイで3回クラブW杯に出ています。
クラブW杯ではレアンドロ・ドミンゲス(柏、現横浜FC)、ロンドン五輪決勝では、(ブラジル代表の)フッキ(現上海上港)とマッチアップしていた人なので、今自分が彼と一緒にいるのは奇跡なんじゃないかと思うくらいすごい人です(笑)。
僕も彼もスペイン語が話せる(メキシコはスペイン語圏)のですぐに仲良くなり、今じゃ寝る時間以外いつも一緒にいるくらい(笑)。この選手は将来メキシコにあるコネを活かして代理人業をしたいそうなので、彼を頼ってメキシコに行くことも視野に入れています(笑)。
ーー普段は何をして過ごしていますか?
チャベスとよく『FIFA』やカフェ巡りをしています。
北欧ってIKEAなど家具の発祥地のせいなのかおしゃれなカフェが多くて、コーヒー文化がすごいです。遠征のバスの中にも、アウェーのロッカールーム、ホームのロッカールームにもどこにでもコーヒーメーカーがあるくらい。
時間があるとコーヒー、みたいな(笑)。練習以外の時間はカフェ行って、ほかの外国人選手といろんな話をしていますね。
将来的には“原点”で
ーースペイン、モンテネグロ、フィンランドという欧州でも地域の異なる三カ国を渡り歩いて来られましたが、共通点はありますか?
共通点かはわかりませんが、すごく肌で感じるのは、日本の中で自分の得意とするプレーは(外国では)目立たないことが多いということです。
スペインでもモンテネグロでもフィンランドでもそうでしたが、(自分の得意なプレーを披露するのではなく)“日本人として評価されるプレー”をすることが大事です。例えばすばしっこいだとか頭がいいだとか。そういう面は、どこでも日本人として評価されると思います。
もう自分はそういう部分は掴んでいるので、日本でプレーしてアピールするよりも、ヨーロッパでの方がやりやすいくらいですね。
ーー海外に出てよかったと思いますか?
そう思いますし、大学に行かなくてよかったなとも思いますね。大学に行ってもし試合に出られずに22歳を迎えていたら今いるチームに入れるレベルになかったと思うんで。
ーー将来的には日本でプレーしたい?それとも海外でチャレンジし続けたい?
結構そういうことはチームメイトとも話しますけど、やっぱり「線はある」と思うんですよ。
ーー“線”というと?
日本に一回戻ってしまうとヨーロッパとの“線”が切れてしまうと思うんです。
日本でやる可能性は十分にあると思っていますが、周囲の実績ある選手たちと話していると、やっぱり一つでも上にステップアップできるように自分はやっぱりヨーロッパに残り続けたいなと思えてきます。
ーー将来的に行きたい、リーグ、クラブを教えてください。
最終的にはリーガの1部に行きたいと思っています。自分の海外における理想像はそこにあるので。
今はこのチームでとにかく結果を残したいですね。経験豊富な選手と一緒にプレーできているのも財産だと思いますし、そういう選手から心強い言葉をいただけていることもありがたいことです。
ヤロはもともと1部にいてフィンランドの中では名門。僕の経歴ではなかなか入れないクラブだし、結果を残せばヘルシンキや大きいクラブへの移籍も狙えるクラブ。ここからサプライズを起こしたいですね。
ーーぜひ、いつかラ・リーガで活躍する日を待っています!