世界遺産に無断で砂利 天草四郎、島原の乱の舞台 潜伏キリシタン遺産 原城跡

 世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ、長崎県南島原市南有馬町の原城跡(国指定史跡)で、南島原市が文化庁の許可を得ずに「二ノ丸跡」の一角に砂利を敷き、史跡を無断で現状変更していたことが5日までに分かった。

 文化財保護法は、史跡を現状変更する際は文化庁に届け出て許可を得るよう定めている。砂利を敷いた場所は一般の来訪者も駐車場として利用しており、遺跡の破壊につながる恐れがあるため、国と長崎県は砂利の撤去を指導。南島原市は「早急に対応する」としている。

 南島原市によると、砂利を敷いた一角は市有地。多くの観光客らが訪れる本丸跡に近い。長年、慣例的に駐車場として使用し、砂利は旧町時代から敷いていた。

 今年5月、南島原市からのり面補修工事を受注した業者が10トントラックの資材積み替え場所として使う際、約300平方メートルに新たな砂利を追加し、転落防止用フェンスを新設。一般の来訪者も駐車場として使用していたが、南島原市は容認していた。

 南島原市内で9月20日、原城跡の整備を助言する専門家委員会が開かれ、新たな砂利敷設やフェンス設置に気付いた専門家が「許可申請すべき事案」と指摘。文化庁と長崎県は南島原市に砂利などを撤去し、駐車場利用もやめるよう指導している。

 原城跡は、江戸時代にキリシタンが多かった島原半島と天草の農民が幕府軍と激戦を展開した「島原・天草一揆」(1637~38年)の舞台。1938年、国史跡に指定された。

 南島原市世界遺産推進室は「大型車の荷重を和らげる目的の一時的な措置で、工事が終われば撤去する予定だった。認識が甘かった」としている。

二ノ丸跡の一角に敷かれた砂利と新設したフェンス(奥)=長崎県南島原市、原城跡

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