本日開催のプレミアリーグ第9節、チェルシーvsマンチェスター・ユナイテッド。
首位争いを繰り広げるチェルシー。不振からの脱却をはかりたいマンU。どちらにとっても、この一戦は勝利が欲しいところだ。
ここでは、そんな両チームの“ユニフォーム・トリビア”をご紹介しよう。
チェルシー:ブラジル代表みたいなユニを着ていた時期がある
Umbro 1978-81 Away
チェルシーにとって60年代から使っているイエローは、珍しくとも何ともない色。しかし2部リーグ時代に使っていた1978-81アウェイキットは、異色のカラーコンビネーションだった。
それまではイエロー/ブルーの組み合わせを度々使っていたが、1978年に突如イエロー/グリーンのシャツが出現。W杯で幾度となく好成績を収めたブラジル代表に影響されたようなカラーリングだ。
もっとも、パンツとソックスは色が全く異なるので、もしかしたらノリッジ・シティに近いと言った方が正しいかも。
チェルシー:実は自社ブランドのユニを着ていた時期がある
Chelsea Collection 1986-87 Home
ロシア人富豪の出現により、今では世界有数の強豪クラブへと変貌を遂げたチェルシー。ユニフォームに関しても、Nikeやadidasといったメガ企業から引く手数多だろう。
しかし二桁の順位でシーズンを終えることも珍しくなかった80年代には、なんとユニフォーム・サプライヤーが付かず自社ブランドのキットを着ていたシーズンがある。
それが86-87シーズンに着用したこのキットで、ブランド名は「Chelsea Collection」。サプライヤー契約が無かった理由は不明だが、自社ブランドのユニを着るなど、今では到底考えられないことだ。
この自社ブランドのキットはサポーターに不人気のようだったが、ひとつだけ功績も。CFCの文字でライオンを囲むスタイルのエンブレムは、この自社キットが発祥だった。このエンブレムは後々長く使われることとなる。
ちなみに、ユニフォーム以外のウェアについてはUmbro製を使用していたらしく、あくまでユニフォームのみ自社ブランドだったらしい。
チェルシー:フリットがデビュー戦で着たのは史上最悪ユニだった
Umbro 1994-96 Away
チェルシー史上最悪ユニの称号を授かることも珍しくない、この94-96アウェイキット。その嫌われっぷりは、今でも「プレミアリーグ歴代ワーストキット」候補に挙がるほどだ。
そんなユニをチェルシー入団後最初に着てしまったのが、ルート・フリット。プレ・シーズンマッチのジリンガム戦で、フリットはグレー×オレンジのキットを身にまとい、新天地でデビューを果たした。
コンプリートルックはこんな感じ。サポーターから嫌われるのも、無理もないことだ…。
マンU:公式戦「1試合限定ユニ」が存在する(その1)
Nike 2008 Munich 50th Anniversary Kit
こちらは比較的有名なレトロユニフォーム。“ミュンヘンの悲劇”から50周年を迎え、2008年2月6日のマンチェスター・ダービーを追悼試合として開催。その試合で着用したキットだ。
ユナイテッドはエンブレム、メーカーロゴ、スポンサーロゴを取り払い、50年前と同じようにシンプルなユニフォームを着用。対するシティもエンブレムのみのキットを使用した。
背面も背番号のみを付けていた。なおレプリカユニフォームの販売は無かった。
マンU:公式戦「1試合限定ユニ」が存在する(その2)
adidas 1991 UEFA Cup Winners Cup Final
こちらも1試合限定キットで、1991年のUEFAカップウィナーズカップ決勝戦のみで使用した特別ユニフォーム。
クラブとadidasは、このバルセロナとの決勝戦のためだけに特別ユニフォームを準備。その甲斐もあってか、試合は2-1で勝利し、クラブに2つめの国際タイトルをもたらした。
シャツ全体に幾何学模様の透かしが入り、“CUP WINNERS CUP 1991”の文字がエンブレムを飾る。
マンU:公式戦で無敗のユニが存在する
Umbro 1996-97 Away
シンプルなデザインと「SHARP VIEWCAM」のスポンサーロゴが人気だった、96-97シーズンのアウェイキット。調べた限りでは公式戦6試合に使われたが、結果は3勝3分で無敗を誇った。
3勝はノッティンガム・フォレスト、アーセナル、リヴァプールから挙げたもの。ちなみに、翌97-98シーズン前のプレシーズンマッチでも1試合だけ使われたが、その試合はPK戦の末にインテルに敗れている。
マンU:公式戦で散々な成績を残したユニが存在する
Umbro 1995-96 Away
ユナイテッドのファンやユニ・マニアには“1勝もできなかった”として有名な95-96アウェイキット。そして何より、当時のサー・アレックス・ファーガソン監督が「グレーは味方を視認しにくい」として忌み嫌ったことでも知られている。
このキットでの成績がどのくらい酷かったかというと、5試合に着用して1分4敗(3得点10失点)。
着用は“5試合”なのだが、正確には4.5試合と言うべきだろう。96年4月13日のサウサンプトン戦。前半で3点のビハインドを負ってしまうと、ファーガソン監督の怒りが炸裂。その原因がグレーのユニフォームにあるとし、何とハーフタイムでユニをチェンジするという荒療治を行う。
前半は上の画像のようにグレーのキットを着ていたのだが…。
ハーフタイムを終えてピッチに現れた選手は、グレーのアウェイではなくブルー/ホワイトのサードキット姿だった。しかし試合は89分にライアン・ギグスが1点を返すにとどまり、1-3で敗れている。