大卒・Jリーグ・日本代表を全て経験して欧州へ渡った5名

地球全域が市場と化した今日におけるサッカー界。

アジアカップ決勝で日本を破ったカタール代表は、子供の頃からエリート教育を施す「アスパイア・アカデミー」を設立し成功を収めているが、各国とも若い才能の発掘に躍起になっている。

海外の日本代表最新情報、Jリーグ超ゴールはこちら

一方、日本やアメリカには大学スポーツの文化があり、そこで成長を遂げる選手も。今回は、大学を卒業しJリーグを経由して欧州の主要リーグへと渡った日本代表の選手たちを紹介しよう。

伊東 純也(柏レイソル)

神奈川大学→ヴァンフォーレ甲府→柏レイソル→ヘンク(ベルギー)

最初に紹介するのは、先日ヘンクへの移籍が決まった和製スピードスター、伊東純也だ。

高校時代は無名の存在だったが、神奈川大学3年時に関東大学サッカー2部リーグで得点王、翌年にはアシスト王、そして2年連続でベストイレブンに選出され、2015年にJ1の甲府へ加入した。

そこからも「快足」で階段を駆け上がっており、大卒1年という異例の速さで柏へ。初年度は右サイドバック起用されることもあったが、リオ五輪候補を経て、2017年末に日本代表へ初招集された。

昨年柏がJ2降格した事情もあり、このアジアカップ後に欧州挑戦するはこびとなった。

長友 佑都(ガラタサライ)

明治大学→FC東京→チェゼーナ(イタリア)

3度目の出場となった今回のアジアカップも全く衰えを見せなかった長友佑都。

彼はサッカーの名門・東福岡の出身だが無名の存在だったため、スポーツ推薦を得られず指定校推薦で明治大学へ。当初はケガもあってスタンドで太鼓を叩いていたことは有名な話だろう。

しかしそこから天性の身体能力を生かして急激に評価を高め、FC東京から特別指定を受ける。2008年には卒業を待たずにプロ入りし北京五輪の代表にも選ばれた(大学は2009年に卒業している)。

以降は日本代表としてワールドカップとアジアカップに3度、世界屈指の強豪インテルに所属するなど、絵に描いたようなサクセスストーリーで成功を収めている。

山田 大記(ジュビロ磐田)

明治大学→ジュビロ磐田→カールスルーエ(ドイツ)

名門・藤枝東を経て、明治大学時代にユニバーシアードの代表に選ばれた山田大記。

攻守に頭脳的なプレーを見せる攻撃的MFは、プロ1年目から磐田の「10番」を託され、その期待通りの活躍で2012年にクラブ史上最年少で主将に、2013年には日本代表へ初招集された。

翌年夏にはドイツの伝説的GKオリヴァー・カーンを輩出した当時2部のカールスルーエへ。1年目から主力となりチームも3位と好成績を残したが、あと数分を耐えれば終わりというHSVとの入れ替え戦で同点弾を許し昇格を逃すことに。

翌シーズンには「10番」を与えられたもののチームは低迷し、2017-18シーズンに3部降格という憂き目に遭った。結局1部でプレーすることは叶わず、一昨年に磐田へ復帰している。

田中 順也(ヴィッセル神戸)

順天堂大学→柏レイソル→スポルティング(ポルトガル)

現在は「TJ砲」と言われるが、その破壊的な左足で高校時代から「アドリアーノ」の異名を取った田中順也。

しかし全国的には無名で、一般推薦によって順天堂大学へ。大学でも知られた存在ではなかったが、別の選手を見に来ていた柏レイソルのスカウトに発掘され、当時のネルシーニョ監督に気に入られたこともあってプロ入りした。

その後の活躍はご存知の通り。2011年に日本代表へ初選出されると、2014年6月にスポルティング・リスボンと契約し、ポルトガル三大クラブに在籍した最初の日本人に。

バイアウト額が6000万ユーロ(78.8億円)に設定されたことで大きな話題となったが、2シーズン、限られた出場機会のなかでポジションを奪取するには至らなかった。

永井 謙佑(FC東京)

永井謙佑

福岡大学→名古屋グランパス→スタンダール(ベルギー)

ロンドン五輪でエースを務めた永井の大学時代はなかなか凄い。

在籍時にAFC U-19選手権、ユニバーシアード、アジア大会で得点王(アジア大会は優勝も)、2010年1月6日のイエメン戦で当時流経大の山村和也と大学生ながらA代表デビューを飾り、南アフリカ・ワールドカップにはサポートメンバーとして帯同している。

それだけにプロからの誘いも多く、3年時にアビスパ福岡、4年時にヴィッセル神戸の特別指定を受けた末、2011年に名古屋グランパスへ加入した。その後、川島永嗣が所属するスタンダールに小野裕二とともに加入している。

なお、現役以外では以下の選手たちも該当する。

藤田 俊哉

筑波大学→ジュビロ磐田→ユトレヒト(オランダ)

黄金期のジュビロ磐田で中盤の要として君臨した。彼は筑波大学で主将を務めているが、この時の同期に久保建英(現FC東京)の父親である久保健史さんがいた。

遠藤 雅大(昌浩)

筑波大学→ヤマハ→ジュビロ磐田→横浜FC→東京ヴェルディ→清水エスパルス→メヘレン(ベルギー)

ファルカン監督の時代に日本代表へ招集されたDF。ベルギーで初めてプレーした日本人としても知られる。

※宮本恒靖はG大阪ユースから昇格しプロ生活を送る傍ら同志社大学を卒業しているため除外する

© 株式会社ファッションニュース通信社