【高校野球】智弁和歌山、中谷監督インタビュー 母校へ抱く恩返しの思い「何を残して死ねるか」

前任の高嶋仁氏(右)の下で指導経験を積んだコーチ時代の中谷仁監督【写真:沢井史】

監督して初めてと臨んだ選抜大会でベスト8入りを果たす

 監督として初めて臨んだ甲子園で2勝。智弁和歌山は第91回選抜高校野球大会でベスト8入りを果たした。準々決勝で明石商にサヨナラで惜敗したが堂々の戦いぶり。中谷仁新監督が高嶋仁名誉監督から受け継いだチームをしっかり作り上げたてきた。そんな指揮官が生徒にどういったアプローチで指導に当たったのか。率直な心境に迫った。

――偉大な恩師からの引き継ぎ。甲子園本番での初采配と重圧は大きかったのでは

「世間の目は和歌山県では勝って当たり前だと思って見られる。高嶋先生がそこまでチームを引き上げてこられた。智弁和歌山イコール、高嶋仁監督が甲子園のベンチで仁王立ちです。高校野球の世界で日本一の監督からチームを受け継いで重圧がないといえばウソになります」

――プロ野球の世界で15シーズンプレーし、その後に高校野球の指導者というのは考えにあったのか

「小さい頃に野球を始めて、一番最初に持った夢、現実的な夢として意識したことが実は高校野球の指導者でした。結果的にチャレンジさせてもらえる形でプロ入り(97年阪神ドラフト1位)は実現したが、元々それは遠い夢でした。本来は大学に進学して教員免許をとって、指導者になりたかったんですよ」

――念願叶っての母校での采配。どういった方針で生徒と接しているのか

「僕は教員としてではなく学校職員として勤務させていただいてます。野球の指導者であり、勝つことを求められていることも理解しています。とはいえ、生徒たちとこれからの人生、大学、就職と色んなことに関っていく。多感な時代の3年間を過ごすことに重要性を感じています」

――生徒たちの人間形成に重きを置いている

「勝つことも目標ですが、それより先の進路で『智弁の選手はナイスガイだ。人の痛みが分かる。黙々と作業できる。この組織にはこの人間が必要なんだ』と、そう思われるような人材を作りたいです」

――自身も高校時代のみならず指導者から多くを学んできた

「高校時代もそうですし、プロでも阪神、巨人、楽天と注目チームに在籍させていただいたので、野球どうこうより、人としてどうあるかが大事ということが分かった。高嶋先生のあとを引き継いで高校野球の頂点を目指すというより、人として生徒たちに接するんだという面に力を入れたいですね」

――生徒たちと接する中で気をつけていることは

「一見、無駄に思えることも必要だったんだと後から分かる時もあります。理解してくれるまで生徒をずっと見守る。子供たちと向き合って、とことん付き合うことが大事だと思っています。自分も色んな方に熱心に教えてもらいましたし。体罰はもちろんないですが、この子をなんとかしたいという強い気持ちが伝わるような接し方がしたいです」

プロでは思うような活躍ができず「僕はプロ野球選手としてはみんなに恩返しできなかった」

――時代が移り変わって教育、指導というものが難しくなっている

「世間の風潮としてそれは確かに感じます。ただ、必死で伝えようとすれば生徒の態度は変わると思います。ウチの野球部は1学年12人がマックス。逆にこれぐらいの人数だから一人一人と向き合える。部員が100人とかの学校であれば監督とほとんど話もできずに3年間を終える生徒もいるかもしれないですしね」

――現代っ子だなと感じることもある?

「一度、こんなことがありました。僕はプロの世界でプレーしてきたけど、大した成績を残せなかった(通算15年在籍、実働7年で28安打、4本塁打)。だから、お前らがプロに入れたら、俺なんて1年で抜けるぞって言ったんです。そしたら、生徒たちが声揃えて『ハイ』ってね。コラ、必死でやって15年で28本や!!。『ハイ』じゃないよ!! って思わず突っ込みましたよ」

――プロでの経験はやはり指導に生きているのか

「そうですね。阪神、楽天でお世話になった野村監督の真似をするわけではないですが、この場面ではこういうことをすればこうなるんだとか、ベンチでぼやくではないですけど、子供達に聞こえるように話したりはしてますね。練習試合の時だけですけどね」

――捕手の経験を伝えることが主にはなってくるのか

「そういうわけでもないですよ。最後に巨人にいたときの経験が、自分にはいい勉強になりました。せっかくこの場にいるんだからなんでも吸収してやろうと思ってました。今後の指導の引き出しになるわけですしね」

――巨人には球界を代表するお手本も多くいた

「川相さんにはバントの技術を聞きにいきました。1軍にいる時にも、各コーチに積極的に話しかけました。ゴマスリだとかげ口を言う人もいましたが、そんなことは気にしませんでした。勇人(坂本)なんて面白かったですよ。どうやってそんな内角の難しいボールをさばけるのかって聞くと「センスっす」って返ってくるんですよ。そんな個性的なスターの横顔も含めて、僕が関わる子供たちに、いろんな経験を伝えたいですね」

――智弁和歌山の伝統を引き継ぎながら、中谷監督のプロとしての経験を伝えればチーム力も上がる。

「不完全な選手ばかりで波もある。でも、いいところを探してあげたい。プロでもこんないいところを持ってる選手はいないよと、僕の口から言うことで何とか子供達の心に火を着けようとしています。智弁和歌山の看板の重さを感じつつ、その伝統を守ってきた先人たちへの感謝を忘れずやっていきたい。僕はプロ野球選手としてはみんなに恩返しできなかった。だからもう一回、母校に帰って名前を残して死んでいってやろうと思ってます。一度は(プロとして)野球人生は終わった。ここからまた(高校球界の)野球人として何を残して死ねるか。そう思って、子供達と一緒に頑張っていきたいと思っています」(楊枝秀基 / HideKi Yoji)

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