久保建英の未来は?10代で日本代表デビューした現役選手とその現在

2019年6月9日、キリンチャレンジカップ・エルサルバドル代表戦後半22分に日本順の注目を集めた。久保建英が市川大祐に次ぐ歴代2番目の早さ「18歳5日(市川は17歳322日)」で日本代表デビューを飾った。

巧みなドリブルから果敢に鋭いシュートを放つなど、未だに目に焼き付いているサポーターは多いことだろう。

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日本サッカー界の未来を嘱望される久保以前に10代で日本代表デビューした選手は、現在どうしているのだろうか。選手をピックアップした。

小野 伸二(北海道コンサドーレ札幌)

デビュー:1998年4月1日 vs韓国戦(当時18歳)

最年少デビューといえば、この男が真っ先にあがるだろう。1998年4月1日に韓国とのワールドカップ共催記念試合で、18歳186日でデビューを飾った。

その後は10代で同年のフランスW杯に出場を果たした。繊細なボールタッチ、傑出した創造性など才能の片鱗を世界の大舞台で見せつけた。浦和レッズからオランダ1部フェイエノールトに移籍後は、日本人史上初のUEFAカップ(現EL)を制覇するなど、輝かしい実績を誇る。

元オランダ代表のファンペルシーやスナイデルも、彼の技術を絶賛するなど世界に与えた影響は大きい。現在は北海道コンサドーレ札幌所属。出場機会は年々少なくなってきているが、魔法をかけたようなプレーは健在だ。

冨安 健洋(シント=トロイデン)

デビュー:2018年10月12日 vsパナマ戦(当時19歳)

19歳で日本代表デビューを果たした富安は、力強い対人守備と若手とは思えない的確なポジショニングで代表、クラブ双方で守備の要として活躍している。

また中学3年時にアビスパ福岡のトップチーム参加を果たすなど、ポテンシャルの高さを頷けるエピソードも。高校2年生で2種登録となり、翌年にはトップチームに昇格した。

現在はベルギー1部シントトロイデンで屈強な欧州人FWに負けない活躍を披露している。またCBながらアジア杯における日本人最年少ゴール記録(20歳77日)を保持しているなど、高い攻撃力も兼備している。

188㎝と高身長に似合わない足の速さもあるため、アジアでは珍しい万能型のCBと高い評価を集めている。最近ではイタリア1部ボローニャの移籍話も出ているため、今後の動向に注目を集めている。

米本 拓司(名古屋グランパス)

デビュー:2010年1月6日 vsイエメン戦(当時19歳)

現在、名古屋で活気のあるプレーを見せている米本も10代でA代表にデビューした選手の1人だ。2010年1月の2011アジアカップ予選イエメン戦でデビューし、19歳でデビューをしている。

兵庫県立伊丹高校時代の2008年にヴィッセル神戸へ特別指定されるも、その後練習参加したFC東京へ加入が発表された。2009シーズン、ルーキーながら28試合に出場し高卒でいきなり出場機会をつかんだ。

相手の攻撃の芽を摘む力に長け、Jリーグには珍しい激しさを持ちながらもその後ボールをつないだり、意外性のあるミドルシュートが出せる新世代のボランチとして期待された。

ところが、左膝前十字靱帯損傷を2回、逆側の右膝も2016年に大けがと度重なる怪我に苦しめられ、怪我さえなければレギュラーだが…と苦しんだ。

今季、名古屋へ移籍したことで風間サッカーに適応し、ジョアン・シミッチとのコンビは名コンビとして知られチームに欠かせないものとなっている。

宮市 亮(ザンクト・パウリ)

デビュー:2012年5月23日 vsアゼルバイジャン戦(当時19歳)

中京大中京高校卒業と同時に英国の名門アーセナルと契約とした若き天才は、19歳で代表戦デビューを果たした。

見せ場は少なかったが、左WGで起用された宮市は50m6秒台の脚力をいかしたスプリントで左SBの長友と高速ラインを形成する場面もあり、本格派ウインガーの登場に多くのサポーターが夢を膨らませたことだろう。

だが度重なるケガで華やかな舞台から徐々にフェイドアウトしていった。現在はドイツ2部のザンクト・パウリでチームの昇格を目指して奮闘中だ。

フェイエノールト時代の華麗なシザースやドリブルなどを得意としていたころと異なり、強烈なヘディングや鋭い飛び出しなど力強さを見受けられるようになった。ドリブラーから点取り屋へと徐々にプレースタイルが変わりつつある。ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドを彷彿させるような変遷のため、彼にロマンを抱いてしまう。

香川 真司(ベシクタシュ)

デビュー:2008年5月24日 vsコートジボワール戦(当時19歳)

代表の10番といえば、香川真司だろう。19歳で代表デビューを果たした香川は、歴代3位となる最年少ゴールを決めるなど長期間に渡って代表に貢献し続けてきた。

ドルトムントでの傑出した活躍や日本人初のマンチェスター・ユナイテッドへの移籍、そしてアジア人史上初のプレミアリーグでハットトリックと記憶にも記録にも残る活躍は語るまでもないだろう。

鋭すぎる動きだし、軽快なボールタッチにシュート動作の速さで日本代表史上6番目の多さの31ゴールを記録。近年は世代交代の流れで代表での存在感が薄れつつあるものの、2012年フランス代表戦の決勝弾、翌年コンフェデ杯のイタリア戦でのゴール、そして2018年ロシアW杯コロンビア戦の先制点など記憶に残るゴール場面は枚挙にいとまがない。

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トルコ1部のベシクタシュに期限付き移籍後は出場時間548分で4得点2アシストと復活を想起させる活躍を見せた。今後復調すれば、代表で多くのサポーターを再び熱狂させる日が訪れるかもしれない。

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