奇妙なトレード ディナーやスーツと交換された選手も

メジャーリーグの世界では様々なトレードが行われてきた。過去には監督同士を交換した例もあるし、ブロードキャスターと選手を交換した例もある。ジョン・マクドナルドのように結果として自分自身とトレードされた選手もいる。メジャーリーグ公式サイトのアンソニー・カストロビンスは自身の記事のなかで、過去に行われた奇妙なトレードを紹介している。

殿堂入り投手のレフティ・グローブは、1920年にブルーリッジ・リーグのマーティンズバーグ・マウンテニアーズからインターナショナル・リーグのボルティモア・オリオールズへ移籍する際、3500ドルと交換された。これは暴風雨によって破損したマーティンズバーグの外野フェンスの修理費用であり、グローブは「外野フェンスとトレードされた」と言える。なお、オリオールズはその後、1925年に10万600ドルでフィラデルフィア・アスレチックスへグローブを売却している。

殿堂入り外野手のデーブ・ウィンフィールドは、大規模ストライキの最中である1994年8月31日にツインズからインディアンスへトレードされた。ツインズは後日指名選手を獲得する予定だったが、ストライキによってウィンフィールドがインディアンスで1試合もプレイしないままシーズンが終了。このトレードを決着させるため、インディアンスの球団首脳はツインズの球団首脳にディナーをご馳走したという。これにより、ウィンフィールドは「ディナーとトレードされた」と言われている。

同じく殿堂入り外野手のトリス・スピーカーは、1907年にボストン・アメリカンズと契約したものの、7試合で打率.158に終わり、チームからの評価は低かった。そのため、翌年のキャンプは自費での参加となり、レッドソックスと名前を変えていたアメリカンズはキャンプ地の球場の使用料としてスピーカーをサザン・アソシエーションの球団へ売却した。「球場使用料とトレードされた」スピーカーだが、期待通りに成長すれば買い戻せる規定になっていたため、レッドソックスは同年中にスピーカーをチームに復帰させている。

メジャー8年で通算386試合に登板したケリー・ライテンバーグは、ドラフトで指名されなかったため、独立リーグのミネアポリス・ルーンズと契約。月給650ドルでプレイしていた。その後、ブレーブスがライテンバーグに注目し、獲得を希望。このとき、ルーンズの監督だったグレッグ・オルソンはその対価として自軍が本当に必要としているものを要求し、12ダース分のボールと2ダースのバットとの交換でライテンバーグをブレーブスに差し出した。ライテンバーグは「ボールとバットとトレードされた」というわけだ。

伝説の名投手サイ・ヤングも、奇妙なトレードを経験した選手の1人である。投手を必要としていたクリーブランド・スパイダースのフランク・ロビソン・オーナーは、トライステイト・リーグのカントン・ナジャイズに在籍していたデントン・ヤングに目を付けた。当時はまだ「サイ」というニックネームは付いていなかったが、このヤングを獲得するためにロビソンが支払った対価は250~300ドルの移籍金とカントンの監督のためのスーツ1着。通算511勝を挙げることになる大投手は、メジャーリーグに加入する際、「スーツとトレードされた」のである。

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