甲子園の「青い旋風」 当時主将の小江さん 目標への“過程”が尊い

心境に寄り添い「これからの力になる」

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「自分が監督だったら選手たちに何と言うのかなと考えてしまう」と話す小江さん=大村市、県教育センター

 1994年夏。県立普通校の長崎北陽台が、ノーシードから県大会を制し、初出場の甲子園で8強まで駆け上がった。その活躍はユニホームの色にちなみ「青い旋風」と称された。当時の主将だった小江諭さん(43)は、夢舞台を「想像以上に素晴らしい場所だった」と振り返り、その目標があったからこそ頑張れたと“過程”の尊さを強調した。「絶対に間違いではない」と。
 当時のメンバーは西彼長与、時津町など、学校近隣の在住者ばかりだった。春の県大会は初戦で敗れ、前哨戦のNHK杯も長崎地区予選で姿を消した。それでも、全員で知恵を絞り、早朝補習前の合間を有効活用するなど懸命に汗を流した。
 迎えた夏。チームは周囲の予想を上回る快進撃を見せた。エース松尾洋和さん(43)を中心に、2回戦以降は波佐見、鎮西学院、佐世保実、長崎南山、海星の実力校を次々に撃破。「相手に強くさせてもらっていった。いい意味で調子に乗っていった」と懐かしむ。
 少しでも長く甲子園にいたくて、抽選会ではチームメートから「できるだけ後ろの日程を引け」と言われた。だが、結果は開幕日の第2試合。しかも相手は強豪の関東一(東東京)。仲間たちからは「まじや、なんで1日目や」という声も漏れたが、チームは“いい意味で”開き直った。自らも打っては1番で2安打、守っては終盤のピンチで中堅の大飛球を好捕するなど、2-0の完封勝ちに大きく貢献した。
 勢いを増した青い旋風は2、3回戦も勝ち抜き、大会12日目まで残った。普通の学校でもやれることを全国に披露した。「きらきらしてて大きく成長させてもらった。頑張れば何とかなる、と今でも思っている」
 高校卒業後は長崎大を経て、教諭として生徒と一緒に甲子園を目指した。現在は県教育センター勤務で、現場から離れているが、コロナ禍の今、もし、自分が監督だったら選手たちに何と言うのかと考える。
 「子どもたちを完全に納得させるものはないと思う」。そう球児の心境に寄り添い、かみしめるように言った。「レギュラーになれる子もなれない子もいる中、甲子園や目標があるからこそ、それぞれ、そこに向かってやっていける。それは絶対にこれからの力になると信じています」