救援列車 朗読劇DVDに 大村・松原地区「伝える会」結成5年 市内の学校などに寄贈へ

朗読劇の収録に臨むメンバーら=大村市松原本町、松原八幡神社

 長崎に原爆が投下された日の夜、瀕死(ひんし)状態の人々が救援列車で運ばれ、治療が行われた大村市松原地区。その史実の継承活動を通じて平和の尊さを語り継いでいる同市の「松原の救護列車を伝える会」(田口哲也会長)が結成5年の今年、体験談を基にした朗読劇のDVD制作に取り組んでいる。市内の学校などに寄贈する計画で、同会発起人の村川一恵さん(44)は「戦時中、自分たちが住む地域で何があったのかを調べるきっかけになれば」と話す。
 「夜から朝まで無我夢中で治療を続けました」-。16日、同会メンバーが市内で朗読劇の収録に臨んだ。長崎市発行の長崎原爆戦災誌によると、救援列車が松原に到着したのは1945年8月9日午後9時ごろ。負傷した約80人を、地域住民らが仮救護所となった松原国民学校(今の大村市立松原小)まで運んだ。
 朗読劇は当時、衛生兵として看護処置に当たった福地勝美さん=2013年に死去=が同校創立100周年記念冊子に寄せた手記を基に、村川さんらが13年に作った。制作に携わった村川さんら6人で15年、会を結成。地域の高齢者から証言の聞き取りも進め、市内外の小中学校で上演してきた。
 結成5年、被爆75年の今年は当初、市民向けに朗読劇を披露する予定だったが新型コロナウイルス問題で断念。年々、上演要請も増えており、メンバーが直接訪問しなくても平和教育に役立てられるよう、DVD制作を決めた。映像には手話通訳と字幕も付ける。
 約20分の朗読劇では、頭に木の棒が突き刺さった女の子が運ばれてきたシーンなど、福地さんが「地獄絵巻」と表現した当時の様子を臨場感あふれるせりふやナレーションで構成。松原でも長崎原爆の黄色い閃光(せんこう)やきのこ雲が見えたことや、運ばれてきた被爆者には女の子が多く、学校には泣き声や家族を呼ぶ声が響いていたことなどを伝えている。
 DVDは7月上旬には完成し、市内小中高校や長崎原爆資料館、ミライon図書館にも寄贈を申し出る。教育機関から要望があった場合も無償で提供するという。田口会長は「原爆投下で長崎とはまた違った体験をした人たちが松原にいた。その貴重な証言を後世に伝えていくことが私たちの使命」と話した。

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