詩人 福田須磨子さんしのぶ 長崎 命日に碑前で集い

詩碑前に献花し、手を合わせる参加者=長崎市平野町

 長崎原爆の後遺症に苦しみながら詩作を通じて反核と平和を訴えた被爆詩人、故福田須磨子さん(1922~74年)の命日の2日、長崎市平野町の福田須磨子詩碑前で集いがあり、被爆者や高校生ら約30人が追悼した。
 集いは詩碑が建立された75年8月の翌年から「長崎の証言の会」などが毎年開き、45回目。
 福田さんは23歳のころ、爆心地から1.8キロの長崎師範学校(現文教町)で被爆。詩集「ひとりごと」や生活記録「われなお生きてあり」などの作品を残し、52歳で亡くなった。
 集いでは長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(79)が日米共同訓練や集団的自衛権行使に懸念を示し、「もし彼女が生きていたなら、どんな風に私たちを見つめ、叱り、激励してくれただろう。希望ある世の中にしないといけない」とあいさつ。福田さんの人生を振り返る紙芝居を披露した被爆者の末永浩さん(84)は「彼女のような大したことはできないが、自分なりに遺構巡りや講話で平和を伝えていきたい」と述べた。
 詩碑に刻まれている詩「生命を愛しむ」を朗読した活水高2年の田川美桜(みお)さん(16)は「これからは私たち若い世代が伝える側にならないといけない。一人でも多くの人に平和を考えてほしい」と語った。

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