被爆者・堤アサさん遺品29点 原爆資料館で収集展 来月26日まで 熱線で溶けたラムネ瓶も

原爆の熱線で溶けたラムネ瓶など=長崎原爆資料館

 被爆75年の節目に長崎市が収集した被爆資料が、平野町の長崎原爆資料館で展示されている。10月12日に105歳で亡くなった被爆者の堤アサさんが当時の惨状を描いた絵など、アサさんの遺品29点を展示している。来月26日まで(12月29~31日休館)。
 市は被爆の実相を後世へ継承するため、被爆者に手紙を送るなどし、戦時中や被爆の惨状などを伝える写真や日記、書類の収集を強化してきた。遺品は事業を知ったアサさんの四男、孝彦さん(73)=同市在住=が11月に寄贈した。
 市によると、アサさんは爆心地から1.5キロの竹ノ久保町(当時)の自宅で被爆。次男は体中にガラスが突き刺さるけがを負い、遊びに出掛けていた長男を亡くした。

堤アサさんが描いた被爆当時の惨状(原画のコピーに、長崎市が活字を加筆)

 会場では絵や熱線で溶けたラムネ瓶、家族の死亡を証明する書類、戦時中に使っていたリュックなどを展示。絵には次男を救護所へ連れて行った時に見た光景などが記してあり、救護所で息絶えていく人の数が「正」の字で記録されていく場面の描写もある。
 孝彦さんは「命が漢字の一角で数えられていく様子は、ずっと忘れられなかったようだ。普通では考えられないようなことが、1発の原爆で起こる。戦争は怖い、異常だと感じてもらえたら」と話している。
 市は引き続き、資料の提供を呼び掛けている。問い合わせは市被爆継承課(電095.844.3913)。

堤アサさんが戦時中に使っていたリュックなど遺品=長崎原爆資料館

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