4番打者集結の90年代巨人は「怖くなかった」 燕V戦士が語る重量打線の“欠点”

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90年代ヤクルト黄金期を支えた川崎憲次郎氏(左)と飯田哲也氏【写真:荒川祐史】

超重量打線となった1995年はヤクルトが17勝9敗と圧倒し「戦いやすかった」

野球の妙とも言える打順の並び。打順ごとに役割が存在し、必ずしも強打者だけを並べればいいというものでもない。それぞれの役割、総合力によって、いかに打線が機能させるか、が重要な鍵となると言える。

1990年代前半には巨人が落合博満、岸川勝也、ジャック・ハウエル、広沢克己と次々に他球団の4番をチームに加えたことがあった。落合が加入した1994年は優勝したものの、豪華な打線が完成した翌1995年は3位に沈んだ。この年、セ・リーグを制覇したのが、昨年2月に急逝した野村克也氏が監督として指揮を執ったヤクルトだった。

野村監督の下でヤクルト黄金期を支えた川崎憲次郎氏と飯田哲也氏がFull-CountのYouTubeチャンネルで対談。4番打者が並ぶ当時の巨人は「怖くなかった」と振り返った。

ヤクルトがリーグ優勝を果たした1995年は主に1番にシェーン・マックが入り、2番には川相、そして3番からはハウエル、落合、広沢、松井、原、岡崎ら強打者が並ぶ重量打線だった。ただ、この打線がシーズンでは機能せず。チーム打率はリーグ4位の.252に終わり、ヤクルトに10ゲームもの差を付けられて3位に終わった。

野村監督にその外野手として見出された飯田氏は当時をこう振り返る。「ジャイアンツが4番を集めた時期があるじゃないですか。でも、機能しないんですよ。恐怖感はあるけど、怖さはなかった。戦いやすかった、巨人は」。強打者の並ぶ巨人打線にはさほど脅威を感じなかったというのだ。

野球の妙を感じさせる過去「走る人、送る人、返す人がいて役割がちゃんとしていないと」

その理由として「走る人、送る人、返す人がいて役割がちゃんとしていないと。ただ打つだけじゃピッチャーもラク。足が速い人がいるとピッチャーも気になる。走らないとピッチャーはそのまま投げられる」と語る。

この年は故障により3勝止まりだったものの、1990年代前半にヤクルトの柱として活躍した川崎氏は“投手心理”をこう語る。「神経を使うことが減りますよね。走ってくる心配がないわけなんで自分のペースで投げれば良い」と、走者に気を配らなくて済む分、打者に集中できるのだという。

また、同氏は「投手は足が速い走者が出ると、まずはこっち(走者)に気を取られる。打者にも集中しないといけない。分散しちゃうんですよ。走ってこないなら、打者に集中すればいい。バントもしないし、考え事が少なくて済む」とも語っている。

実際、この1995年、ヤクルトは巨人に対して17勝9敗と大きく勝ち越した。4番を打つような強打者ばかりが並ぶ打線。一見すると、相手に脅威を与えそうなものだが、真実は異なるよう。この年のヤクルトと巨人にはそうした“野球の妙”があったようだ。(Full-Count編集部)