1980年に実現した「馬場 vs 猪木」の夢対決

【お宝写真館】1月31日は故ジャイアント馬場さんの命日(1999年没)に当たり、今年はハワイ・ホノルルで「偲ぶ会」が行われた。馬場さんが生涯もっとも誇りにしていたことは何か? それは読売巨人軍の投手(1955~59年)だったことである。晩年にOB戦に出場した時などは「千葉さん(故千葉茂さん=元本紙評論家)は今でも『オイ馬場』だからなあ。参るよ…」とうれしそうにこぼしていたものだ。

写真はめずらしい馬場さんのバッティング姿。しかも投げるはアントニオ猪木、キャッチャーは長州力という豪華なバッテリー。これは東京スポーツ新聞社主催による新日本対全日本対抗ソフトボール大会(1980年4月6日、西武球場)6回裏のひとコマだ。代打に立った馬場さんは、猪木の荒れ球にてこずり空振り三振を喫してしまった。

当時の本紙では「猪木コールと馬場コールでムードは最高に。しかし血と汗のプロレスと違い、これはソフトボール。カウントは2ストライク8ボール(四球なしの特別ルール)、11球目はアウトコース低めで馬場強振。見事な振りに両巨頭は思わずニッコリだった」と報じている。試合は22対5(7回戦)で新日本の圧勝だった。

ハイライトは7回表。満を持して馬場さんがマウンドに上がり、山本小鉄から三振を奪う。次は何と当時猪木夫人だった女優の倍賞美津子が代打で登場。馬場さんはご愛きょうとばかり?デッドボールを与えて3000人の観衆を大爆笑させた。その後は2人を打ち取って1回零封。最優秀投手賞に輝いた。

ちなみに全日本のレフト・大仁田厚はファウルボールを追って頭からフェンスに直撃。動けなくなって周囲を心配させたが、数秒後に何事もなかったかのように蘇生。当時からお騒がせ男で不死身だったようだ…。

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