G馬場さん葬儀で初めて涙見せた元子夫人 そして和田京平に託された〝遺言〟

出棺遺影を持つ馬場元子夫人(1999年2月2日)

【ジャイアント馬場が死んだ日「空白の27時間」(6)】日本中が悲しみに包まれた2月1日の正式発表から一夜明け、同2日には自宅で密葬が営まれ、都内の斎場で馬場さんは荼毘に付された。選手全員が自宅から斎場に向かう馬場さんを見送り、遺骨を抱いた元子さんを迎えた。この時、初めて元子さんは涙をみせた。実に亡くなってから2日後に初めて見せた涙だった。

「馬場さんを霊柩車に乗せた瞬間に『ああ、これでよかったんだ』という思いがあふれ出てきてね。ようやく本当に肩の荷が下りたという実感が湧いてきた。1周忌も3回忌、7回忌も20年目も盛大に大会が行われた。本当によかったと思いますよ」と和田氏はしみじみと語る。

あれから22年が経過した。多くの関係者が亡くなり、元子さんも2018年4月に死去。遺体を運んだ若手も現役を続けるのは当時最年長だった選手だけとなり、残る3人はセミリタイアしてしまった。早すぎるようで、とてもとても長く重い22年だった。

「俺は最後に馬場さんと約束を交わした。俺が死んだら母ちゃん(元子さん)には、誰もついていかないだろう。三沢は全日本を辞めて三沢のプロレスを始めるに違いない。全日本は俺の代だけで終わらせていいよ。でも京平、お前だけは最後までうちの母ちゃんのそばにいてくれないか――そう言われたら『安心してください。大丈夫ですよ』と言うしかないよね。まあ、その約束は守れたと思う」(和田氏)

そして全日本は来年に旗揚げ50周年を迎える。2月4日には後楽園ホールで「23回忌追善興行」(東京スポーツ新聞社後援)が開催される。同大会のプロデューサーを務める和田氏は「馬場さんが俺の代だけでいいと言っていた全日本が、まだ続いているわけだからね。俺も体の続く限りはマットを叩き続けるしかないのかな」と笑った。

現在、馬場さんと元子さんは、同じお墓(兵庫・明石市の本松寺)で安らかに眠る。墓前には16文シューズの等身大の御影石がモニュメントとして置かれている。4月に元子さんの3回忌を終えた姪の緒方氏は「いつまでもファンの方々の胸にその姿を焼きつけていてほしい。お墓の参拝もご自由になさってください」と頭を下げた。

最後に和田氏は「ここまできたら全日本プロレスはもう永遠じゃないのかな。数えきれないほどの危機を乗り越えてきた。今の(新型コロナウイルス感染拡大の)ピンチも、残った選手全員が頑張って乗り越えてくれるでしょう」と断言した。

創設者亡き今も、全日本の選手たちは奮闘を続けている。会場で目を閉じてみる。リング上を選手が躍動する音、観客の熱狂する声、マットを叩くリズミカルな音。あの時代と何も変わらない音が、今でも確かに聞こえてくる。=終わり=(運動二部・平塚雅人)

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