岐阜県知事選の「主流」は保守ではなく「棄権者」だった・上(フリーライター・畠山理仁)

選挙の現場で感じた「温度差」

5期目の当選を果たし、当選報告をする現職の古田肇氏

岐阜県知事選挙は「温度差がすごい選挙」だった。

気温の話ではない。選挙に参加する人としない人の温度差だ。

選挙に参加する人たちは、とんでもなく熱かった。一方で、参加しない人たちは、とことん冷たかった。その温度差は、選挙戦終盤に近づけば近づくほど大きくなった。

私は選挙の取材が大好きで、もう20年以上いろんな選挙を見てきた。どこの現場でも共通していたのは、候補者や支援者の熱さである。真夏の南国でも、真冬の雪国でも変わらない。私は選挙現場にいるだけで熱くなり、元気が出る。朝から晩まで食事も摂らずに走り続ける。選挙戦最終盤は、不眠不休でも大丈夫になるほど選挙取材の現場は面白い。

しかし、今回の岐阜県知事選挙は何かが違った。各陣営の活動現場は熱くても、そこから別の現場へ移動する間に一気に熱が冷めてしまう。熱さが局所的な選挙だったのだ。

通常の選挙であれば、候補者を中心に発せられる熱は街中に広がっていく。候補者の熱に触れた有権者の輪は、日を追うごとにどんどん大きくなっていく。選挙の勝敗は、各陣営がどこまで熱を広げられるかで決まっていた。

それが今回の岐阜県知事選挙ではほとんど感じられなかった。熱心な支援者と、そうではない一般有権者の間で行われるはずの「熱伝達」を目にすることができなかった。

自分の選挙取材史上、こんなに「寒さ」を感じた選挙はない。選挙中ははっきり書かなかったが、私は告示日の段階で次のような感想を抱いていた。

「投票率50%を超えるのは難しいだろう」

だから選挙中は何度も「過去の投票率が低すぎる」とTwitterに書いた。「前回は100万人以上の有権者が投票に行きませんでした」とも書いた。

しかし、残念ながら1月24日の投開票日、私の予想は的中した。当日有権者1,655,160人のうち、投票したのは795,205人。棄権者数859,955人。投票率は48.04%。前回知事選を11.65ポイント上回ったものの、2人に1人以上が棄権する結果となった。

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「保守分裂」以前に「有権者分裂選挙」だった

誤解してほしくないことがある。岐阜県の候補者や支援者の熱は、全国どこの選挙と比べても負けない熱さがあった。それぞれが最後まで、1人でも多くの輪を広げようと努力していた。

44年ぶりに4人が立候補したことで、有権者の関心も以前よりは高かった。54年ぶりの「保守分裂」選挙になるまでの経緯も注目を集めた。さらには初めて女性の知事候補が立候補するなど、話題には事欠かない選挙だった。

稲垣豊子候補は岐阜県知事選挙では初めての女性知事候補となった

新田雄司候補は「支援者のみなさんに感謝。立候補したことは後悔していない。今後は薬剤師に専念したい」と筆者にコメントした

それでも投票率は50%を切ってしまった。本当に残念でしかたがない。

私が選挙前からずっと気になっていたのは「保守分裂選挙」という言い方だ。これは「保守王国」と言われる岐阜県で、現職の古田肇氏と江崎禎英氏を支持する人が二つに割れたことを指している。

もちろん取材者としては燃えた。岐阜県内の国会議員、県会議員、地方議員が半分に割れた選挙は、熱くて激しいものだった。現職の古田氏本人は街頭での選挙運動を一切しなかったが、野田聖子県連会長を始めとする岐阜県内の国会議員や県会議員が街頭に出て古田氏支持を訴えた。

新人・江崎氏の擁立に動いた中心人物が、かつては古田氏を擁立し、過去4回の選挙を支えた猫田孝県議だったことも注目を集めた。野田県連会長と猫田県議の舌戦も話題を集めた。選挙に興味がある者にとっては、ドラマが満載の選挙だった。

選挙では、各陣営がそれぞれの主張を堂々と展開する。それを聞いた支援者たちが自分の態度を明らかにし、支援の輪を広げようとする。これは極めて健全な選挙の形だ。その意味で、「保守分裂」は有権者にとって悪いことではなかった。投票率が前回より上がったのも、「自分が投票に行かなければ」と危機感を抱いた人が多かったからだろう。密室で候補者が一本化されるより、正々堂々と戦われた県知事選は岐阜県にとって有意義なものだった。

その上で、今一度みなさんに認識してほしいことがある。それは今回の選挙結果だ。私は各候補者の得票数とあわせて「棄権者数」も並べたい。なぜなら岐阜県の「主流」は保守ではなく「棄権者」だからだ。

古田肇 388,563票
江崎禎英 319,188票
稲垣豊子 49,928票
新田雄司 32,316票
棄権者数 859,955人

私は選挙前から「棄権者数の多さ」を問題視してきた。それは今回も解消されなかった。岐阜県知事選挙は「保守分裂」選挙である前に、選挙にいく人と行かない人がはっきりわかれた「有権者分裂選挙」だった。

「有権者分裂選挙」

選挙結果が判明した後、報道陣の取材に応える江崎禎英

投票率が50%を超えなかった理由はいくつか考えられる。なかでも大きな要因となったのは、新型コロナウイルス感染症の拡大ではないだろうか。

現職の古田知事は、選挙中の1月9日に岐阜県独自の「非常事態宣言」を発令した。1月13日には、国による緊急事態宣言の対象地域に岐阜県が追加された。これにより、岐阜県内の街を歩く人の数は大きく減った。

通常の選挙では、候補者が人通りの多い場所に出かけていく。選挙があることに気づかない有権者に、選挙や候補者の存在を知らせるためだ。

しかし、緊急事態宣言下の岐阜県では、そもそも「人が集まる場所」が見当たらなかった。有権者が候補者に遭遇する機会が大幅に減少した。見たこともない候補者に一票を投じられる人はそれほど多くないはずだ。

候補者が活動をやめたわけではない。各陣営は街中で積極的に活動を行っていた。とくに江崎陣営は街頭活動を終えた後も屋内での個人演説会を開いていた。

しかし、こうした集会に参加するのは、もともと候補者との関係や距離が近い人に限られる。支持固めにはつながるが、爆発的に支持が広がるところまでは至らなかったのではないだろうか。

それでも会を重ねるごとに輪は広がっていた。ただし、緊急事態宣言下で行われる17日間の選挙では、候補者の熱を十分に広げることはできなかった。

選挙結果が出た後、江崎氏は私の取材にこう答えている。

「自分の政策を浸透させるには時間が足りなかった。コロナで選挙戦らしい選挙戦にならなかった」

投票率が50%を超えなかったことについて聞くと、次のようにも答えた。

「私が当選することができたら、『変わるんだ』ということをお伝えできた。(選挙に)行くか行かないかでこんなに変わるから、ぜひ投票に行きましょうというメッセージにしたかった。それができなくて残念です」

 

「岐阜県知事選の『主流』は保守ではなく『棄権者』だった・下」に続く

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