【藤田太陽連載コラム】練習では150キロ連発なのに一軍だとダメ…

二軍では本来のボールを投げることができた

【藤田太陽「ライジング・サン」(22)】ヒジ手術から2005年に復帰。4月に復帰後初勝利を挙げることができました。プロ初勝利を挙げた思い出の舞台、広島市民球場での白星を新聞にも取り上げてもらいました。

ファンの方々や周囲の皆さんの多くは明るい未来を想像したと思います。ただ、僕としては手術した右ヒジはなじんでいませんし「何で俺は野球をしてるんだろう」との思いに駆られていました。

05、06年くらいの記憶があいまいなんです。特に一軍での記憶が薄い。二軍で頑張っていた思い出はあるのに。練習では直球の球速が150キロを簡単に超してくるのに、なぜだか一軍で投げると同じことができないんです。

こういう現象を簡単にくくって、多くの傍観者は「精神的に弱いんだよ」と表現する。指導者でも、同じことを簡単に言う人もいます。そんなことを言うだけなら誰でもできるんです。でも、本人はどうすればいいのかを知りたいんです。

結局のところは技術なんですよ。後に西武に移籍してから、一軍のマウンドでも150キロを連発できるようになったんですけど、それにはもちろん原因がありました。

それは当時の西武のメンタルトレーナー・鋒山丕さんの存在です。阪神に在籍時は「いけーっ、気合じゃ」と言われる。「アカンかったらファームやからな」と。そう言われる野球をやっていました。

しかし、西武に行ったら「自由に投げたらいい。ミスしようが何しようがいい。その代わりお前が持っているものを出してくれ」と言われました。

試合になると手が固まるんです。何でだろ?ってずっと思っていて相談しました。練習では投げられるのに、一軍のマウンドではうまく投げられない。もっとうまく投げなきゃ。自分を追い込んでも何も変わりません。

今でこそ言えますけど、阪神時代の僕は「イップス状態」で試合に投げていたんです。これは本当に誰にも言えなかったです。

練習では緊張しないから「パチン」とタイミングを取って投げられる。自然体で腕を振って。でも、試合になって、そこに投げなければいけない、ミスしてはいけないと思うと投げられないんです。二軍では試合で「パチン」と投げられるのに。

これを気持ちで何とかしろと言われても投げられない。「気持ちが弱いから」と言われても解決できない。

僕と同じかどうかは分かりませんが、ここ数年の阪神・藤浪晋太郎を見ていて感じるものがあります。あくまで個人の考えですが、彼に必要なものは環境を変えることだと僕は思います。何ならチームを変えるぐらいに。

阪神にいればずっと同じように扱われますからね。本人は「そっとしておいてくれ」と本当に思っていると思います。耳に入る話も「分かってんだよ、そんな話。それで俺は悩んでんだ」と思っていると思います。

藤浪の今後は阪神ファンだけでなく野球ファンにも関心事だと思います。僕も阪神のドラフト1位を経験した者として、次回も少しお話しさせていただきます。

☆ふじた・たいよう 1979年11月1日、秋田県秋田市出身。秋田県立新屋高から川崎製鉄千葉を経て2000年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団。即戦力として期待を集めたが、右ヒジの故障に悩むなど在籍8年間で5勝。09年途中に西武にトレード移籍。10年には48試合で6勝3敗19ホールドと開花した。13年にヤクルトに移籍し同年限りで現役引退。20年12月8日付で社会人・ロキテクノ富山の監督に就任した。通算156試合、13勝14敗4セーブ、防御率4.07。

© 株式会社東京スポーツ新聞社