【佐賀の難読地名】水主、咾分、道祖元町・・・いくつ読めますか?

日本各地には、なかなか読めない難しい地名が多数存在します。地域の言葉や歴史に由来しているものなど、さまざまですが、中には県外の人はもちろん、地元の人でもわからないというものも。今回は佐賀県の難読地名を紹介します。あなたはいくつ読めますか?

水主

「かこ」

唐津湾に沿って弓なりにのびる広大な松林「虹の松原」など、風光明媚な景色が楽しめる唐津市。水主町は虹の松原から松浦橋を渡ったすぐ先にあり、唐津藩の水軍が住んでいたといわれています。

咾分

「おとなぶん」

ムツゴロウの生息地としても知られる有明海のそばにある町。江戸時代かそれ以前、佐賀には「咾(おとな)」という代官や町役といった役職があったそうで、何かのきっかけで地名として残ったのかもしれません。

道祖元町

「さやのもとまち」

佐賀の城下町として栄えたエリアで、明治時代の歴史的建造物がいくつか残されています。近くの嘉瀬川河川敷では気球の国際大会「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」が毎年開催され、開催日には色とりどりのバルーンが空を漂う景色が見られます。

八谷搦

(C) ajisai13 / Shutterstock.com

「はちやがらみ」

伊万里焼で知られる伊万里市の中心部にあります。そこから約10キロ先南には、江戸時代にできた鍋島藩の窯元があり、将軍や大名への献上品「鍋島焼」が生産されていました。その景色は水墨画のようともいわれ、現存する「焼き物の里」として多くの観光客が訪れています。

石動

「いしなり」

弥生時代を代表する環濠集落跡「吉野ヶ里遺跡」の吉野ヶ里町にある地名です。国の特別史跡に指定されている遺跡は吉野ヶ里歴史公園として整備され、弥生時代の建物や土器など、暮らしの様子をそのままに復元。悠久の時の流れを感じられる貴重なスポットです。

外津

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「ほかわづ」

玄界灘の豊富な海の幸が獲れる漁師町です。湾に架かる外津橋は、三井住友建設が1974年に手掛けたトラス張出し工法のアーチ橋。当時、その技術は世界初だったらしく大変話題になったそうですよ。

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