毎年6月2日が「ルー・ゲーリッグ・デー」に MLB機構が発表

日本時間3月5日、メジャーリーグ機構は毎年6月2日(現地時間)を「ルー・ゲーリッグ・デー」とすることを公式発表した。ヤンキースの名一塁手・ゲーリッグの功績を称えるだけでなく、「ルー・ゲーリッグ病」として知られる難病・ALS(筋萎縮性側索硬化症)と戦う人々を支援するために制定される。ヤンキースの4番打者として活躍したゲーリッグはこの難病によって現役引退を余儀なくされ、引退から2年後、1941年6月2日にこの世を去った。

ロブ・マンフレッド・コミッショナーは声明文のなかで「メジャーリーグ機構はルー・ゲーリッグの功績を称えることができることに興奮しています。ALSは彼の伝説的なキャリアと密接に結びついており、治療法を見つけることが急務であることに変わりはありません。ルー・ゲーリッグ・デーがこの病気を克服するための努力を前進させることを願っています」とのコメントを発表。ヤンキースのラインナップ表に固定されていたゲーリッグの名前は今後、メジャーリーグのカレンダーに固定されることになった。

ルー・ゲーリッグ・デーには各球団の選手、監督、コーチが特別なパッチのついたユニフォームと「4-ALS」の赤いロゴが入ったリストバンドを着用するという。「4」はゲーリッグの背番号であり、ヤンキースの永久欠番となっている。メジャーリーグ機構が選手の名前を冠した記念日を制定するのはジャッキー・ロビンソン、ロベルト・クレメンテに続いてゲーリッグが3人目となる。

ゲーリッグは1920年代から1930年代にかけてヤンキースの不動の「4番・一塁」として活躍。1934年に三冠王に輝くなど、首位打者1度、本塁打王3度、打点王5度、MVP2度、オールスター・ゲーム選出7度、ワールドシリーズ制覇6度といった輝かしいキャリアを過ごした。1925年から1939年にかけて当時の世界記録となる2130試合連続出場を達成したが、ALSにより記録はストップし、引退を決断。1939年7月4日に行われた元祖「ルー・ゲーリッグ・デー」で引退スピーチを行い、「私はこの世で最も幸せな男です」という名言を残した。特例により1939年にアメリカ野球殿堂入りの特別投票が行われ、殿堂入りが決定。1941年6月2日に37歳の若さで死去した。

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