【#これから私は】原発とコロナ、二つの災厄重ね合わせ 横浜に一時避難した被災者の思い

新たな住まいを構えた町の海を眺める鈴木さん。左奥には震災の伝承施設が建つ=福島県相馬市の原釜尾浜海水浴場

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から10年。避難先の横浜から故郷に戻った福島県相馬市の会社員鈴木順一さん(44)は、複雑な思いで節目の時を迎えた。復興への歩みを進める中で見舞われた新型コロナウイルスの感染拡大。二つの災厄を重ね合わせ、この国の今を憂う。「震災から何も変わっていない」

 10回目の鎮魂の日。震災発生時刻の2時46分に鈴木さんは南相馬市の会社で静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげた。

 「あっという間。記憶から消えたものはたくさんあるが、震災からの出来事を忘れたことはない」

 目を閉じて思い出すのは、激震に襲われたあの日の恐怖と、住む家を追われ、実家や横浜の避難者住宅、仮設住宅を転々とした日々。ようやく新居を構え家族4人の暮らしが軌道に乗りだした直後に、コロナ禍で再び翻弄(ほんろう)された。

 新型コロナの緊急事態宣言に重なるのは、震災当日から今なお解除されない原子力緊急事態宣言。感染を防ぐために医療従事者が身を包む防護服も、原発事故から5カ月後の初の一時帰宅時に袖を通した記憶がよみがえる。

 国内感染者の半数以上を占める首都圏から訪れる人を避ける風潮には、各地に避難した被災者が肌で感じた放射能汚染に対する偏見が映る。「自分の中にも差別感情があるのか…」。逆の立場で同じ目を向ける人がいる現実に、複雑な思いを巡らせる。

 国の施策もそうだ。原発事故に伴う避難区域の線引きで補償の明暗が分かれ、境界線の内側の住人を「えこひいきだ」とののしる声を聞いた。新型コロナの時短営業に絡む協力金など支援の温度差にも「困っている人の実情に寄り添うやり方があるはず」との思いを抱かずにいられない。

 福島の被災者にとって復興とは「原発問題を解決し、日常が戻ること」。一方で地元の産業集積を目指す国の「イノベーション・コースト構想」は重点分野に「廃炉」を掲げており、「あまりに矛盾している」。

 政治の建前と本音に、被災地は振り回されてきた。原発対応にもコロナ対策にも「国の思惑が透けて見える」からこそ、厳しい目を向け続ける。「未来のための方策か、単なる聞こえのいい言葉か。その違いをしっかり見極めたい」

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