【伊藤鉦三連載コラム】落合に人前で雷を…星野監督ミーティング激怒事件

宮下(左)に殴りかかるクロマティ

【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(5)】私は中日時代、7人の監督のもとで働いてきましたが、星野監督ほど勝負に厳しい人はいませんでした。試合中に逆転されようものなら大変なことになります。

いつだったか岐阜の長良川球場で試合していたときのこと。私がトイレで用を足していたときにチームが逆転されたのですが、星野監督が怒鳴りながらドアを蹴ってトイレに入ってきたときには、あまりのけんまくに心臓が止まりそうになったほどです。

特にライバルの巨人戦となると闘志を前面に出していました。年配の方は星野監督就任1年目(1987年)の6月11日、熊本藤崎台球場での巨人戦を覚えている人も多いでしょう。中日の宮下が巨人のクロマティの背中にぶつけたのをきっかけに両軍入り乱れての大乱闘。あのときも星野監督はものすごい形相で巨人相手に向かっていきましたからね。

でも私にはあの乱闘騒動以上に忘れられないシーンがあります。それが主砲の落合の調子がなかなか上がらず、ビジターでの巨人戦に敗れた直後の「星野監督ミーティング激怒事件」です。当時の中日は勝っても負けても毎試合後、宿舎でミーティングを行っていました。監督、コーチが前にいて、向かい合う形で選手が座ります。落合、宇野ら主軸選手はいつも一番後ろに座っていましたが、宿敵・巨人に敗れた直後ということで宿泊先だったサテライトホテル後楽園のミーティング会場に現れた星野監督は大激怒モード。いきなり名指しで4番の落合を叱責したのです。

「オチ! いつまで待たせるんだ! 調子が悪いなら早出するとかノック受けるとかあるだろ!」

これにはさすがの落合も「はい」と答えるしかありません。おそらく落合もミーティングで怒られたのはプロに入って初めてだったはずです。この時、私は一番後ろで立って見ていましたが、あんなに緊張感が漂ったミーティングは初めてでしたね。もちろん他の選手もみんな下を向いてました。

「もうええわ!」。そう言って星野監督はすぐにミーティング会場から自分の部屋へ戻っていこうとしたのですが、怒りが収まらなかったのでしょう。出ていくときにそばにあった丸椅子を投げ捨てたのです。もちろん誰もいないところに投げたのですが、運悪く丸椅子はミーティング会場にあったカラオケの機械に激突。ものすごい音がして、カラオケは壊れてしまいました。

私が知る限り、星野監督が他の選手の前で落合に雷を落としたのは後にも先にもこのときだけ。それだけライバル・巨人に敗れたことが悔しかったのでしょう。

星野監督1年目は2位に終わった中日でしたが、この年のドラフト会議で星野監督の“強運”が発揮されます。南海との競合の末、後にミスタードラゴンズとなる立浪和義をくじで引き当てたのです。

☆いとう・しょうぞう 1945年10月15日生まれ。愛知県出身。享栄商業(現享栄高校)でエースとして活躍し、63年春の選抜大会に出場。社会人・日通浦和で4年間プレーした後、日本鍼灸理療専門学校に入学し、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師の国家資格を取得。86年に中日ドラゴンズのトレーナーとなり、星野、高木、山田、落合政権下でトレーナーを務める。2007年から昇竜館の副館長を務め、20年に退職。中日ナイン、OBからの信頼も厚いドラゴンズの生き字引的存在。

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