古賀稔彦さん伝説のバルセロナ五輪金の裏側 〝姉貴分〟山口香氏が明かした「次元が違う」豪快エピソード

古賀さんの豪快な一面を明かした山口香氏

1992年バルセロナ五輪柔道71キロ級金メダルの古賀稔彦さんが24日朝に53歳で死去したことを受け、3歳年上で“姉弟”のように親しかった元世界女王の山口香氏(56)が本紙に豪快エピソードを明かした。

「先輩」「古賀君」と呼び合う2人は、ともに“三四郎”の異名を取る。山口氏は「彼には華がありました。試合会場で畳の上に立つとワクワク感を与えてくれる。彼が来るだけで周りがパッと明るくなるんです」と懐かしむ。直前の練習で大ケガを負いながら金メダルを獲得した伝説のバルセロナ五輪では、忘れられない姿があった。

当時、テレビ解説者として現地にいた山口氏は「あの時、周りはピリピリして大丈夫なの?っていう空気でしたが、古賀君に“負のオーラ”は全くなかった」と振り返りつつ、こんなエピソードを教えてくれた。

「ケガをした瞬間、彼は落ち込むどころか、むしろ『準備は整った』って前向きになったんですよ。『あのまま単に勝っても普通の金メダル。ケガをして試練を乗り越えてチャンピオンになるのが僕なんです』って言っていました。次元が違いますよね」

ケガをした時に乱取りをしていた同78キロ級金メダルの吉田秀彦氏(51=パーク24総監督)への気遣いもあった。「勝たないと後輩の吉田君が重荷を背負うことになる。だから俺は勝つって言って、本当に勝っちゃう。そういう勝負強さと優しさが彼にはありました」

引退後も2人の接点は多かった。古賀氏は講演会で人から聞いた話をよく拝借していたようだが、ある時に山口氏に「人の話でも3回しゃべれば自分のものですよ」と言って豪快に笑った。その一方で「講演中は緊張して水が飲めない」と繊細な一面も見せていたという。「豪快でオチャメ。彼の頼みは断れない、お酒を勧められたら絶対に飲んじゃう」(山口氏)

最後に山口氏は天に召された“弟”を思い、「明るく旅立たせてあげたい。彼もそれを望んでいる」とほほ笑んだ。その笑顔に古賀稔彦の生き方が凝縮されている。

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